チキータの遺産第一幕 呪いの指輪◆4

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一通り自警団本部で暴れてきた――といっても、フラビオの役目は錯乱で、煙幕をばらまいてきただけだが――彼は、あらかじめコラソンと約束しておいた、合流地点に向けて森を駆け抜けていた。
わざと遠回りをし、何度も後方を確認したので、恐らく追っ手はいない、と願いたい。やがて森の奥、合流地点に到着し、木の影に隠しておいたマナを消費して動く乗り物、マナビークルを眺めた。
これは上物のキャンピング仕様のビークルで、前方部には操縦席と助手席、後部にはシェルと呼ばれる寝泊まりできるスペースが連結されている。賞金稼ぎという職業柄、こういうものがあるのは便利だ。
一見するとスマートでありながら、そのシェル内部がそこそこ豪華で大きい。四人ほどまでなら、足を伸ばして眠ることもできるし、キッチンまでついているという嬉しい仕様だ。
このビークルは、ある北国で強大な化け物と戦ったあとの生還祝いとして、ロシュエル孤児院の院長であるカシアからもらったものだった。
カシアは、孤児院出身であるフラビオやコラソンにとっては、母親とも言える存在だ。とりあえずこの町を出たら、カシアを頼ろうと思っている。
「はぁ、なんだか疲れたわ」
車輪まわりの簡単な点検をしていたら、コラソンがチキータを連れて戻ってきた。話を聞くと、作戦はおおむね計画通りに進んだらしい。
「よう、チキータ、無事で良かった。さっそくだが、シェルの中にあるこのくらいの袋、開けてみてくれ。リボンがついてる奴だ」
フラビオは両手でその大きさを示す。チキータは首を傾げながら、シェルの背面出入り口から乗り込む。
「おお! お菓子の詰め合わせでしょうか?」
チキータは目をキラキラ輝かせながら、中から一つビスケットの入った透明な包みを見せてきた。
プレゼントに形の残らない食い物、というのはどうかとも思ったが、色気より食い気のチキータは、これ以上ないくらい満足してくれたらしく、さっそく口に詰め込んでいた。
ここで小さな疑問を抱いたチキータが、口をモゴモゴと動かす。
「しかし、どうして突然?」
「ロシュエル孤児院では、記憶がない子もよく引き取られてくる。そういう奴らの誕生日ってのは、正確にはわからないからな。孤児院に来た日を誕生日ってことにしてた……一年前の今日は、お前が俺やコラソンと出会った日なんだよ」
彼はコラソンと相談して、孤児院のローカルルールをチキータにも適用し、一年前に出会っていたチキータの誕生日を今日と定めていたのだ。
「つまり、この菓子とそっちのヤツは俺らからチキータへの誕生日プレゼントってわけだ」
「その隣にある大きい袋も開けてみて」
チキータは口に詰めていた菓子を、大きく喉を鳴らして飲み込んでから、コラソンからのプレゼント袋を開封する。
「あ、これは……」
それは丸くて大きな帽子と、白と赤を基調としたドレスのような、それであって飾り立てすぎていない質素な服。今着ているような味気ない黒いワンピースと比べると、非常に色鮮やかだった。
「ほら、前にちらっと着てみたいって言ってたやつ。白っぽいし、ミニスカートだし、尻尾が目立ちそうだから迷ったんだけど。まあ、結果オーライね、町を出るからちょうどよかったわ」
なるほど、町を出て行くことにまったくの躊躇がなかったのはこういうことか。この誕生日プレゼントは、チキータが捕まる前に選んだものなのだ。
「あ、ありがとうございます! さっそく着てみていいですか!?」
「いいわよ、着せてあげる。ほら、男はどっか行って」
「へいへい……誕生日おめでとう、チキータ」
「おめでとう」
うれしそうにはにかむチキータを背にフラビオはビークルを出て、シェルの壁に体を預けてしばらく一人で時間を潰していた。
胸がどうとか、髪がどうとか、尻尾の付け根がどうとか、ちょっと覗きたくなるような会話が壁越しに聞こえてきたが、彼は我慢する。コラソンに何をされるかわかったものではない。
「あの……似合ってますか?」
「似合ってるんじゃないか?」
数分後、もう戻ってきていいというコラソンの声が聞こえて戻ってみると、普段見ない華やかな洋服に身を包んだ、チキータがフラビオを出迎えてくれた。思わず息をのむ。
気の利いたことを言ってやることができなかったが、チキータは照れくさそうにしている。
黒髪の垂れる頭を包んだキャペリン、いわゆるつば広帽子からは、黒という地味な色でありながらアクティブな印象とクラシカルな女性的印象を同時に受け、質素かつドレスチックな洋服と上手くマッチしていた。
魔族が多い隣国の魔族領との交流も盛んなロシュエルに行くのなら、魔族にチキータの顔が見られないよう、フードなども必要かと考えていたが、このつば広帽子だけあれば十分そうだ。
ところで。
「さっきから気になっていたんだが、その指輪はなんだ」
「あー、これはですね」
銀の輪に、怪しく輝くカラーレスベリル。魔族であるチキータや感覚の鋭いコラソンと違う、魔力だなんだというものに疎いフラビオでも、禍々しさが感じ取れる。
「なんかチキータがはめてたから、持って来ちゃった」
「……は?」
言いたいことが山ほど浮かんできた。しかし、何もかもが一回転して呆れすらもを通り越し、その場に立ち尽くす。
しばらくの沈黙。やがて頭の整理がつくと、ようやく言葉がつむぎ出せるようになった。
「なんだそれ、これはアレじゃないか、ファフル自警団が魔族の力を封じるときに使っていたとかいう例の呪いの指輪……!」
チキータの遺産。そう言いかけて口を閉じる。
このおてんばな今のチキータも、殺戮の化身・テネブラエの名が自分と同じチキータであることは知っている。だから隠す必要はとくになかったのだが、真実を知ってしまった今のフラビオに、この、チキータの名がついた指輪の名称を発声するのは、ためらわれた。
彼の中のチキータと、殺戮の化身であるチキータ・テネブラエは別物で、実際、記憶がない今のチキータとは違う。その二つの人格を、なんだか、重ねてしまうような気がして。
記憶を失う前の自分が、世界に破滅に導き損ねた存在だったなど、チキータだって……知りたくないはずだ。知らないほうが幸せなこともある。
「ええ、そ、そんな……呪いの指輪なんて言われるほど物騒な代物なんですか、これ!? はめていると落ち着くんですが……」
「とまぁ、チキータがそう言うからさ、持ち出しちゃった。ファフル自警団では、あまりいいことに使われてないしね」
コラソンとの一瞬のアイコンタクト。遺産をチキータに害のあるものだとコラソンが判断していれば、絶対にはめたままになんてさせないはずだ。
詳しいことはわからない。魔法が使えなかったテネブラエが所持していたチキータの遺産というものは……この本人には有益なものとなるのかもしれないと思った。
「ふーん」
フラビオは自分の気持ちになんとなく引っかかりを覚えたが、このままにしておくことにした。
「フラビオ、町を出たらどこに行く?」
「とりあえず、カシアさんのとこに行こう。孤児院の奴ら……ニックにもついでに挨拶できるしな」
「……そうね」
ニック……ニコラスは、フラビオが孤児院で暮らしていたとき、とくに可愛がっていた魔族の男の子だ。まだ幼く、とても無垢な少年である。孤児院を出たあとも、彼の成長を見守るように年に何回か顔を見に行っていた。
だが、今年はチキータという新たな家族が増えたこともあって少し慌ただしくしており、まだ顔を合わせていない。
あまりいいきっかけとは言い難いが、ちょうどいいだろう。チキータにも会わせてみたい。

ファフルを出てすぐの夕飯は、それなりに贅沢をして肉を食べることにした。ビークルの中が臭うのはコラソンが嫌だというので、外でバーベキュー気分の食事である。
チキータは基本なんでも食べるが、肉はとくに大好きだ。普段あまり扱わない特上の食材に興奮しながら腕を振るい、丁寧に味付けしていく。
「ねえ、これはまだ焼かないの?」
コラソンがステーキを指して不満そうな声をあげる。結構に値が張る牛の霜降りサーロインだ。まだ冷蔵庫から取り出して間もないもので、その鮮やかな血肉の表面は少し冷えている。
「後で焼くんだよ。肉は自然解凍してから焼くのが基本だろ」
「もう凍ってなんてないじゃん」
「常温に戻るまで待つんだっての」
味付けを済んだものから順に、十分に温まった網に並べていく。こちらの物はステーキほど厚くはなく大きさもないので、すぐに常温に戻った。
網に乗っていくたびに立てる美味しそうな音に、思わず唾を呑み込む。
「ていうか、お前も見てるだけじゃなくてなにか手伝えよ、チキータを見習え」
「でも私料理得意じゃないし……それに」
チキータも同じようにちゃちゃっと肉を網に並べて、夕飯の準備を進めていたのだが……。
「ん~、おいしい~」
気がつけば、どんどん並べて焼き上がったものからどんどん口に運んでいる。皿に取るまでもない様子で、口の中に運ばれた肉は瞬く間に消えていく。肉汁たっぷりの肉を頬張るその顔は幸せそうだった。
「これを見習うの?」
「……うーん」
相変わらずの食べっぷりに度肝を抜かれたフラビオは口ごもる。顎の髭を撫でながら、曖昧に返答した。
「それより、こんな状況でバーベキューってさすがに無警戒すぎやしない?」
「わ、わかってるよ、でも肉がもったいないだろ。捨てるわけにはいかないし……それに臭いがつくから中で焼くなって言ったのはお前じゃないか」
夜天に昇っていく煙を二人で仰ぐ。これじゃまるで狼煙だ。自警団の連中に「私たちはここにいます」と言っているようなものである。
しかしこの食材たちは、今日出かけたとき、つまり廃鉱の帰りに用意したものだ。こんなことになるとわかっていたら、晩飯に焼き肉は避けていた。
「しかも、せっかくだから肉を食いたいって言ったのもお前。誕生日の祝いとか言って……」
食べることが好きなチキータには、豪華な夕飯を用意してあげることも祝いの一つになるとは考えていた。だから何らかの高級食材を買って帰るのは前から考えていたことだったのだが、肉がいいと言い出したのはコラソンなのである。フラビオは結果論で責任をコラソンに押し付けた。
「もう、分かったわよ! じゃあ私、見張りをしてるわ。それなら得意だし。ステーキ焼けたら呼んでね」
「わかった。頼むぞ」
そう言い残し、焼き上がった肉を一つつまみ食いしながら去っていくコラソンを、チキータは口を一生懸命動かしながら眺めていた。肉を焼くのが一段落すると、フラビオはチキータのそばに寄って座る。そして静かにしばらくの間黙っていた。
少しずつ、チキータの顔は赤く染まっていく。
「な、なんですか」
「んーなんていうか」
フラビオの視線はチキータの左手、あの呪いの指輪と称されるチキータの遺産がはめられた手に向いている。
「これはやっぱり俺が預かる」
「えー、そんなあ」
肉をせっせと口へ運んでいた手を止めて、チキータがぶーたれる。理由の説明もなく、自分が落ち着いた気持ちになるというアクセサリーを取り上げるといったら当然の反応だろう。だがフラビオは、テネブラエという絶対悪の存在と、今ここにいるチキータという存在を、同一視したくはなかった。
チキータが殺戮の化身であることはもう覆しようのない、明らかになってしまった事実だ。だからこれはフラビオの勝手な行動なのかもしれない。それでも、彼はチキータの遺産を彼女の元から取り上げたかった。
自分の手を離れた指輪がフラビオの荷物入れの中にしまわれていくところを、チキータは少し名残惜しそうに見つめていていた。