チキータの遺産第一幕 呪いの指輪◆5

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次の日の明け方、田舎町ファフルと、地方都市ロシュエルを繋ぐ道。両脇には木が茂っていて、緑の匂いのする空気が美味しい。
「うんうん、やっぱり似合ってるわ。前の黒も良かったけど、女の子はこう……華やかさも大事!」
普段、勝ち気で気丈な振る舞いを見せるコラソンに不相応な笑みが、ビークルの中で振りまかれている。
ビークルの車輪をカタカタと鳴らしながら、その道の中間地点ともなっている廃鉱へ続くルートとの別れ道を通り過ぎる頃、まだ眠っているチキータを起こさないようにと小さく喜ぶコラソンを眺めていた。
疲れてしまったチキータは、寝間着に着替えるのも忘れてそのまま寝入った。自分の与えた洋服に身を包んだ彼女自体が、コラソンのお気に入りになってしまったらしい。
(チキータはお前の着せ替え人形じゃないっつーのに)
そんなフラビオの視線に気が付いたコラソンが、彼と目を合わせて言う。
「なーに、しょぼくれた顔してるのよ。見てるこっちが不幸になりそうだわ」
「そんな顔をしていたのか」
チキータの存在が脅威そのものだと知ってしまった精神的ショックは大きい。フラビオは少しだけ気を落ち込ませていた。わざわざ今日をチキータの誕生日だと決めたのは自分なのだ。ネガティブに考えるのは、また今度にすべきかもしれない。
そう思ってふう、と沈んだ気持ちを押し出すように短く息を吐き出したが、どうしてもあまりいい気分にはなりきれなかった。
「せっかくチキータとの出会いを祝ったばかりだっていうのに……」
チキータとの出会いか。
「もし、俺とチキータが出会っていなくて、俺たちの家にも招いていなかったら」
殺戮の化身たる彼女は、いったいどんな生き方をしていたのか。
もっとも考えられるのは、昨日のように自警団に連行されて、ひどい仕打ちを受けるということ。フラビオもさすがに、赤の他人である魔族の少女が自警団で何かをされていようと、一切関知しない。というより、情報を知り得ることすらできないだろう。
そしてもう一つ考えられる、可能性が低くも高くもないケース。
「テネブラエの従者ってまだ生きてるよな」
テネブラエ一味が再び結束し、世界を滅ぼしにかかる。そんなことまで脳裏をよぎった。どうしても気分が浮かばれない。
「まだ活動してるというウワサね、あの頃ほど、大きな動きはないというけど」
「ふーん」
コラソンの言葉を聞きながら、フラビオはビークルから乗り出し、空を見上げる。すでに日は顔を出し、その光を背に受けた木々が影を長く伸ばしている。
(もう飯にしてもいい時間だな)
「私もお腹が空いた」
操縦席に体を引っ込めて操縦に集中すると、フラビオの意図を読み取ったのか、コラソンがそんなことを言った。やがてビークルを脇に止め、彼は食事の用意を始めた。慌てていたので荷物はそんなに多くない、食べ物も然りだ。
片手で持ったトマトを眺めてつぶやく。
「一玉使うのは……ちょっと惜しいな」
少々水でかさ増ししたトマトスープを煮込みながら、今後について考える。テネブラエは三人の従者を従えていた。一人は人間なのでもう生きてはいないが、一人は魔族と人間のハーフ、もう一人は純血魔族の貴族。
その従者のうち、とくに能力が秀でていたのが混血魔族の方だ。対象の心の中を読むことができる読心魔法が非常に得意だった彼は、常にその魔法を自らの周囲に展開し、情報収集とテネブラエの守護・周囲警戒をしていた。もちろん、その力は戦闘においても役立つ。能力の一部を代償に、テネブラエとある契約をしたらしいが、フラビオは詳しいことを知らない。
そこで思考が止まって、鮮やかな赤が溶け出したスープを無心で眺める。
「あの中の、混血がチキータと接触したらまずいことになりそうだわ。あいつは……彼女の義弟だもの」
「いろいろと、な」
純血の方は、事情を説明すれば問題ないだろうと思っている。
もともと、ティスニア帝国は人間しかいなかった国で、隣国リコテスカ王国は魔族しかいなかった国。約五百年前までは、両種族は激しくいがみ合っていた。五百年前……つまり、テネブラエが現れるまでは。
そんな二つの国の間にあったわだかまりは、その純血貴族の方の従者とロシュエルのカシアのおかげで解消された。そして、リコテスカ王国の伯爵領を治めているのが、まさにその貴族、マルティーニ伯爵だ。
帝国と王国の間にさかんな交易が実現しているのは、カシアと伯爵のおかげといっても過言ではない。
さらにフラビオが腰に差している剣は、その伯爵から頂いたもので、伯爵直々の特別な魔法が込められている。ちなみにフラビオをロシュエルの孤児院に入れてくれたのが伯爵なので、実はカシア院長より付き合いの長い相手だ。そうはいっても、まだ幼かったのでおぼろげな記憶しかなく、どちらも大差ないようなものだが。
勝手にコラソンがトマトスープを味見して、顔を歪めた。それを見たフラビオも続けて味見し、同じように顔を歪める。
「なにこれ、赤い水?」
「すまん……水増ししすぎた」
トマトスープはただ塩辛いだけで、トマトの酸味と甘味がなかった。
朝食ができる頃にはチキータも目を覚まし、フラビオお手製サンドイッチを頬張っていた。ちなみにそのサンドイッチには、スライスしたトマトが挟まっている。
「このトマトを、なんでスープに使わないのよ」
「だってよ、トマト抜いたらレタスとチーズしか残らなくなるんだぜ? いいのかよ」
ジトー、と視線がコラソンから注がれる視線が痛い。スライストマトを挟んだサンドイッチはフラビオの好物で、トマトスープはコラソンの好物なのだ。レタスとチーズだけになろうが、コラソンには関係がない。少ない食材で両方実現させたいなら、もっと頭を使うべきだった。
「まあまあ、いいじゃないですか。サンドイッチおいしいです」
「トマトスープは?」
「えっと、まずいですね」
「ですよねー」
チキータのひどく素直な感想にため息をついて、憂鬱な気持ちをごまかすようにサンドイッチのかけらを口に入れる。しかし、この憂鬱は一気に吹き飛ぶこととなる。
しばらくなにげない日常会話で談笑していると、突然、強風が吹き荒れて、シェルの窓を揺らす。その風に、そして近くに嫌な気配を感じ取って、フラビオはゆっくり立ち上がった。チキータにとくに大きな反応はなかったものの、コラソンは気配に気が付いたようだ。
「……誰か外にいるわね」
「ああ、しかもかなりやばい感じの奴がな。こいつを頼む」
「むむ……?」
殺気ではないが、それに似た鋭利な空気を感じる。疑問符を浮かべたままのチキータのことをコラソンに任せて剣を取り、腰に差した。いつでも抜けるようにして、静かにビークルから降りる。誰も、いない……気がした。
「やあ、いい匂いがしたもので、つい」
そこにいたのは、片目に眼帯をした、薄茶色のフード付きローブをまとう長細い男だった。フラビオに今気付いたかのような演技をする。やがて氷を空中に生成して、そしてとくに意味もなさそうに砕いた。その意図が、今のフラビオにはわからない。
今の行動から魔導師であることは明らか。そして通常、人間の魔法というのは複数人で発動しなければ効力を得られないので、同時に人間ではなく魔族であることも分かった。魔族にチキータの顔を見られるのは、あまり良くない。
「どうも、いつからそこに?」
フラビオは反抗的な態度は取らないようにつとめ、フランクな口調で語りかける。
「ああ、気にしなくていいよ。僕、彼女の正体は知ってるからさ」
細身の男は物憂げに、フラビオの耳元につぶやく。
(彼女の正体……彼女って誰だ? チキータ、だよな……?)
「他に誰がいるっていうのさ。チキータ以外に、僕は興味ないよ」
「ちょ、ちょっと来い……!」
「おいおい」
フラビオは慌てて魔族の男を引っ張って、ビークルから遠ざける。チキータには聞かれたくないこと……チキータの正体について、あの場所で話されたらまずい。ビークルの中にも筒抜けだ。
(さて、何者だ……とまで訊く必要はないか)
「当ててごらんよ」
何を当てろというのだ、と訊くまでもないだろう。
さっき体に触れたとき、尻尾の感触がなかった。つまり、こいつは魔族でも、そして人間でもない。つまりは人間と魔族のハーフ。そしてチキータに近づいてくるハーフといえば……チキータの義弟くらいしか思いつかない。
その義弟もチキータと同じく、緑と蒼とのオッドアイだったと噂に聞く。大方その眼帯も、緑の目を隠しているんじゃないか?
外見だけでは明らかにチキータよりも年上に見えるが、魔族と人間のハーフとなれば、その寿命は人間より長く、魔族よりは短い。当然、老化もその寿命の程度に合うように進行するものだ。
「ふむ、その通り」
フラビオの心が読まれている。自分は一言も話していないのに、話が進んでいく様には奇妙な感覚を覚えた。まだファフルを出て二日目だというのに、厄介な者が現れたものだ。下手なことを頭の中で考えることができない。
「僕はずっと前から君たちの側にいたよ、君たちが気付かなかっただけで」
「なぜ今まで手を出してこなかった?」
「うーん、面白そうだから?」
(面白い? じゃあどうして今になって……)
「おいおい、ずいぶん自分勝手な解釈をしてくれるね。今回だって僕は手を出していない。君たちが勝手に僕の気配に気が付いて、勝手に話しかけてきただけじゃないか」
「まあ、それはそうだけどよ……」
「とはいっても、そろそろ忠告が必要かな。帝国軍が動き始めてるよ、チキータを狙って」
「軍まで動かしてるのか、もう?」
「ああ、これは向こうにチキータの存在がばれたな」
フラビオは考える。ファフル自警団が帝国に報告してしまったのか……いや、そもそもチキータの正体は、ファフル自警団にはバレていないとコラソンは言っていた。なのに、一体どうして。
ファフルの町を出歩くとき、チキータはフードで顔を隠していたので、町人にも顔は知られていなかった。だが、自警団に無理やり家に押し入られたあの日は、出かける用事もなかったため、当然フードをかぶっていなかったはずである。
「誰も彼もと信用するのはよくない。例え身近な人物でも」
逆に、この男の言うことを簡単に信用していいのだろうか。フラビオは怪訝そうにそんなことを思った。
「あー、今、僕のこと信用できないって思ったでしょ」
チキータの義弟を名乗る男がけらけらと笑い、愉快げにしている。
「……めんどくさい奴だ。訊くまでもないくせに」
「まあ、信用できないのは当然だよね。キミたちからみれば僕は殺戮の化身の従者でしかないし」
淡々と言う彼を警戒してしばらく睨み合っていると、女二人の話し声が近づいてくる。コラソンとチキータのようだ。
(コラソンの奴、よろしく頼んだのに、連れてきたらダメだろうが……)
「あ、いた! フラビオさーん……ってあれ、そちらの方は?」
「こ、こいつは……」
フラビオはとっさの判断を迫られる事態に陥った。この男の素性が知れない今、彼には好き勝手に口を開かせる訳にはいかない。
しかし、どうすばいい。正直に話すわけにはいかなかった。話してしまえば、芋づる式にチキータが自分自身の正体に気がついてしまう可能性がある。
「やあ、お嬢さん方。僕の名はハイメ。フラビオくんとは仕事仲間でね、彼に会いに行こうとファフルに向かっていたところなんだよ」
フラビオが苦しく心の中で悶えていると、チキータの義弟を名乗る男改めハイメは、突然フラビオの仲間だという話をでっち上げた。これも彼の心を読んでなのか、あるいは他に自分に目的があってのことなのかは分からないが、都合よく話が流れたことにフラビオは安堵を覚える。
フラビオはこの出来合いの設定に乗っかることにした。
「ああ、うん。ほら、混血の! 確か北国で一緒に遠征隊組んだんだよな、あのときは大変だった」
「ヨートゥンから町を防衛したときの? ああ、そういえば、そちらの背の高いべっぴんさんには見覚えがあるね」
さすがというべきか、テネブラエの従者というだけあって読心魔法の程度も並みではない。そして話術も見事に操っている。フラビオがとっさに思い浮かんだだけの内容をすぐに読み取って、まことしやかに語っている。
ハイメはコラソンを指してその姿形を賞賛するが、彼女はサバサバしているのでいちいち照れたりしない。無言で腕を組んでその顔を見つめ返し、自分の中の記憶を探っているようだ。
「そして一年もしたらもう一つ新たな花か、キミも隅に置けない男だ」
かつて義理の姉だったチキータを見て、ハイメがつぶやいた。意味深な表情のハイメとは裏腹に、チキータの方は呆けた面をして尻尾を無邪気に揺らしている。
焦って忘れかけていたが、チキータが記憶喪失になっていることを、ハイメはどう考えているのだろう。ここまで心が読めるのだから、彼女の記憶喪失にも気がついているはずだ。
フラビオは、ハイメももしかしたら、無理に過去に失った記憶を引っ張りだすようなことはしたくないのかもしれないと思った。そうだとしたら、今まで隠れ潜んで後をつけるような真似をしていたのにも納得がいく。
(ってことは、案外いい奴なんじゃないか?)
「うーん? そういえばこんな奴いたっけ……」
チキータが興味津々に尻尾をぴょこぴょこさせている隣で、コラソンは首を傾げてポニーテールを揺らした。
まずい。チキータの方は大丈夫そうだが、コラソンが疑い始めている。どうにか話を転換しなければ。誤解を与えたままになるが、チキータがいないときにあとで詳しく説明すれば問題ないだろう。フラビオは話題を切り替えた。
「まあ、お前はあのときが初対面で、あれきりだったからな。覚えてなくてもしゃあねえ。で、ハイメはどうして俺に会いに? どんな用事だ?」
苦笑を無理矢理自然な笑みに捻じ曲げて、ハイメに訊ねてみた。下手な演技に、我ながら恥ずかしくなってくる。
この茶番はいつまで続くんだろう。そんな風に思っていると、その終止符は唐突に打たれた。
「そんなことよりさ……そこにいる奴、キミたちはどうしたい?」
ハイメが鋭い氷柱を中空に生成して、茂みに向けて発射した。すると、それが着弾したところから短い悲鳴が漏れる。
「ヒッ!」
抜身の黒いナイフを逆手持ちしたまま両手を上げた男が一人、そこから現れる。フラビオは顔くらいしか知らないが、確かファフルの自警団員だったと記憶していた。命の危険を感じた彼が、コラソンに助けを求める。
「ま、待ってください……こ、殺さないでくれ! コラソンからも何か言ってくれよ!」
「ちょ、私を巻き込まないでよ! それにもう私、アンタの仲間じゃないから。敵よ敵」
「そんな……」
この男、どこか抜けているようにも見えるが油断はできない。フラビオは自分の中の記憶を手繰り寄せ、情報を整理する。確かこの人物は、コラソンに並ぶほどの実力者だったはずだ。その軽装備は動きやすいように設計されていて、ナイフを除いた見た目だけで見れば一般人と変わりない格好をしているが、決して侮ってはならない相手だ。
恐らく暗殺を得意とする類の人間だろう。もともと正面から殺り合うつもりがないから、こんな軽い格好をしているのだ。恐ろしいのは、気配がまったくなかったこと。きっとハイメから何も言われなかったら気が付かなかった。
「とっとと消え失せて。目障りだから」
どことなく焦りのにじむコラソンの発言に、男はしばらく言葉を失くして立ち尽くしていた。やがて、目の色を変えてヒステリックに叫び始める。
「なんで、どういうことなんだ? 俺は聞いてないぞ……世界を破滅に導きそこねた……ッ!」
「うるさい!!」
「それ以上口を動かしたら、喉を切り裂いて一言も口を利けなくしてやる」
コラソンの短い叫びにフラビオの言葉が重なったあと、チキータが彼の名を叫ぶ。
「フラビオさん!」
フラビオの手には、銀に輝くショートソード。
フラビオが気がついたときには、自分の体は勝手に動いていた。男の喉元に突き立てたショートソードは少しだけ皮膚をかすって、真紅の水滴を垂らしていた。
こいつはチキータの存在を知っている。その情報を、チキータ本人の前で口にさせるわけにはいかない。
「ちくしょう!」
男が怒声を上げて黒光りするナイフを振り回した。
素早い動きで迫ってくる右腕に、とっさに半歩下がって防御の構えをとる。だがこのとき、フラビオは判断を誤っていた。
「あぶね!」
そう思った時にはもう遅く、左腕が深く切り裂かれる。今のところはもっと下がって距離をとるべきだった。
防御の構えをとったとき、向こうは一度剣を握るフラビオの右手をナイフを逆手持ちしたままの拳で殴ってから、そのまま振り下ろした。殴った勢いでフラビオの懐まで潜り込んでいた黒い金属光沢の放つ切っ先は、簡単に腕を裂いていった。
動きが鈍ったのを好機と見た男がさらに踏み込まんとする。次に襲ってくるナイフを今度はしっかり回避しようとするが、裂かれた腕に痛みが走って上手く立ち回れない。
やばい、と思った時、相手の足は突然に止まった。
「僕たちがいることもお忘れなく」
背後に控えていたハイメが、奴の足元を凍結させたのだ。
「う、動けない……動けん!」
「さて、僕はこいつを切り刻んでやりたいんだけれど……」
ハイメは淡々と、ただ殺意だけを込めた冷め切った言葉を口から吐き出して、開いた手をまっすぐに伸ばす。すると冷気が集まってきて無数の氷の刃を男を囲むように生成された。慈悲のないハイメの言葉に、縮こまっていたチキータが反応する。
「殺すのは……可哀想だと思います」
フラビオはそれを聞いて、とくに感情を表に出すことなく無言でショートソードソードを収めた。鍔と鞘の縁が重なり合い、カチンと音がなる。
チキータの隣に立つコラソンは、少々落ち着きのない様子でうつむいている。二人の様子をしばらく見ていたハイメは口元を少し緩ませて、先ほど生成した刃たちを一瞬で消し去り、フラビオのほうへ歩み出す。
「というわけで、誰もこの男を殺すことに賛成はしてくれないようだ。このまま放っておくとしよう。しばらくは動けないだろうし」
「そうだな」
「あとついでに、その腕治療してあげるから、僕もキミたちの旅路に混ぜておくれよ」
こうして、ハイメはフラビオたちと行動をともにする運びとなった。