チキータの遺産第一幕 呪いの指輪◆3

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そこは、ファフル自警団本部の地下牢獄。
ベッドや椅子、トイレといった最低限なものは用意されているものの、それらは簡素に簡素を重ねたもの。石壁は冷ややかで冷たく、それに触れている空気も同様に冷めている。そこに閉じ込められた少女が吐く息は白かった。
そんな牢獄で、看守の男が二人、椅子に腰掛けて幼い魔族の少女を監視していた。
一人は気弱そうな面持ちの新人、もう一人のごつい表情を強張らせた方はその上司で、看守長だ。
新人の看守の男は、ぐったりと、何のアクションを起こすわけでもないチキータを心配そうに見据えている。その視線の先にあるのは、彼女のか細い指に先ほど無理やりはめられた、透明な石が乗った指輪だった。
「あの……チキータの遺産まで使う必要ありますかね? 彼女、まだ小さいし、下手したら死んでしまうのでは……」
それはテネブラエが封印の追い込みをかけられたとき、最期に残した呪いの指輪。通称・チキータの遺産。
人間が炭水化物や糖分などを活動エネルギーにするのに対して、魔族というのは悪魔も含めて、魔力を体内で生成して活動エネルギーにしている。一応、牢屋の中には食事が用意されているものの、糖分を必要としない魔族の食事というのはほとんど娯楽のようなもの。
しかもその魔力というのは何もしていなくとも自然生成される上、睡眠を摂れば急速回復する。
その代わり、魔力が減ってしまうと動きが鈍くなり、魔力が尽きると死んでしまう。彼女たち魔族というものは、強固でありながら簡単に崩れる生き物だ。
チキータの遺産がどういうものなのかといえば、未だに詳しいことは分かっていない。最近の研究でやっと、装着者の魔力をどんどん吸い尽くすものだということが分かったくらいだ。
この町の自警団は、チキータの遺産を無理やりはめさせることで魔族の動きを封じ、拷問している。
「牢屋の中にいたって、魔族は何をしてくるかわからん。あいつらには簡単に魔法が使えるんだ。恐らく、この娘は風のファミリアだろう」
幸いと言っていいのか、自警団はチキータが例の殺戮の化身だと察して捕縛したわけではなく、ただ、魔族だったからという理由で連行したらしかった。少なくとも、この二人の看守は、チキータの正体に気が付いていない。
「しかし、コラソン殿のお知り合いなのでは……」
「それは……いや、上からの命令に逆らうわけにはいかんだろ」
看守長の方も渋い顔をしながら、吐き捨てるように言う。何も言い返せないまま、もどかしい気分で新人が頬杖をついて監視を再開した。
黒い髪。そして丈の長めのスカートがつながった、黒一色のワンピース。この黒髪と黒いワンピースのおかげで、陶器のような白の肌が際立っていた。
ずっと同じものを眺め続ける、監視という仕事は面白くない。新人看守は、そんなことを思いつつ、チキータの姿形を観察していた。ちなみに、スカートが長いのも、その色が黒いのも、チキータの尻尾が目立たないようにとのフラビオの配慮だ。
未だに虚ろなままの目つきに、新人が心を痛めていると、新たな男が地下に降りてくる。
「何者かが侵入したとの報告が入った。侵入者は茶髪で背丈百七十センチ後半、茶色のマントを羽織った薄髭の男だ。見張りをあっという間に片付けたとのことなので、警戒を怠ることのないように」
その報告に新人看守が大きな音を立てて立ち上がる。続けて看守長がゆっくりと立ち上がって肩を回し、体をほぐした。
「す、すみません」
「なんだ?」
容姿に心当たりのあった新人が、戻ろうとする連絡係に声をかける。連絡係のほうは、まるで声をかけられるのがわかっていたかのような表情で、新人のさらなる反応を待った。
「その、侵入者ってもしかして……」
「フラビオだな」
看守長が連絡係の代わりに答えると、連絡係はうなずいた。チキータがぴく、と反応する。生気を失くしていた目に、二色の光が戻ろうとしていた。
「やっぱり……」
「まったく、いつまでも子どもだよなあ……アイツは。きちっと隠密行動すりゃいいのに」
この町の大半の人物は、フラビオとコラソンが行動をともにしていることが多いことを知っている。つまり、この騒動にはコラソンが関わっている可能性が高いということだ。
「まあ、多少無鉄砲でどうしようもないところがある方ですが……フラビオさん、北国で組まれた遠征隊でヨートゥンを撃退したっていう噂を聞いたことありますよ。あの戦いで生還した人はかなり少ない……そんな人相手にする自信、僕には……」
フラビオの性格はともかくとして、新人看守は彼の実力を高評価し、怯えを見せた。だが看守長は落ち着いた様子で歩き出し、身振りを加えて説明する。
「ここにフラビオは来ないだろう。地下牢に来るルートはかなり複雑で、部外者にはそう簡単に見つけられない」
そこまで説明を聞いて、新人は気が付いた。
直後。
「はぁッ!」
中性的な女性の気合のこもった声があがったのと同時に、地下の壁がぶち抜かれた。粉砕された石壁が、粉雪のように舞い散って煙幕を作り出す。
アイアンナックルをはめた右拳を正面に突き出した長身の女の影が、濛々と立ち込める煙の中にしばらくの間、屹立していた。その影が放つオーラはまるで、子を命がけで守りぬく雌熊のような圧力。
「無茶苦茶な怪力女のほうが、こっちに来るってわけだ」
「だ、誰が怪力女ですって!」
颯爽と現れたコラソン。手にはめたままのアイアンナックルを看守長の喉元に突きつけて、やや顔を赤らめている。一方、看守長の方はまったく動じていない。
「言っとくけど、これがないと、こんな芸当できないから! 素手で壁を粉々に砕けるわけないでしょ!」
「アイアンナックルはめてても普通はできないと思うが」
薄く加工されたただの石ならまだしも、地下牢の壁だ。あくまで武装した一般人の集まりでしかない自警団には許可されている爆薬では簡単に破壊できないように作られている、といえばコラソンの化け物じみた怪力が伝わるだろうか。
「はっ倒すわよ! このナックルで!」
「そりゃ勘弁」
あくまで冷静な声のトーンで言われたことで、口が歪んでまた赤くなった。コラソンは、どうもこの看守長は苦手だ。別段、嫌いというわけでもないが。
本当はこの擬似煙幕を利用して素早くチキータを連れ出し、さっさと逃げる手はずだったのだが、看守長の言葉に気を取られて、完全に忘れてしまっていた。コラソンは、地を蹴ってバックジャンプ、勢いに乗せて武闘の構えをとる。どんなときにでも拳が突き出せるように、そしていつでも駆け出して目の前の二人を気絶させられるように。
刃物のような鋭さで、看守長の持つ鍵を睨みつけた。
「武器を取りなさい。知ってるでしょ、私、無抵抗の敵は相手にしたくない性分だから」
しかし、このひとときの緊張感は、すぐに四散してしまう。
「あーあ、この壁の修理代、たぶんおまえの給料から引かれるぜ?」
「それはこま……って違う! 何言ってんのよ、もういられるわけがないでしょうが! 勝手にすればいいんじゃないの?」
やる気なさ気な顔をして、親指で粉砕された壁を指差していた看守長が、ポツリと言う。
なにボケツッコミを交わし合ってるんだか……と、コラソンは自分に呆れる。なかなか調子が乗ってこない。
「ただの兵士とかならまだいいんだがね、俺たちは見張りが専門だからな。簡単に鍵を渡すわけにはいかん……おい、鍵を開けてやれ」
看守長は妙なことを言って、新人看守に鍵を投げ渡す。
「はぁ?」
「え? あっ、はい」
つかみどころがない看守長の対応に、コラソンも新人看守もどういう態度をとっていいのかわからなくなった。新人看守は言われるがままに、チキータが閉じ込められている牢の鍵を開け、チキータを出してやる。
「コラソンさん、助けに来てくれたんですね。ありがとう、ございます」
新人看守に支えられて、ゆっくりと歩み寄ってくるチキータを、やさしく抱きしめ……コラソンは違和感を覚えた。
(……予定通りだわ)
チキータの遺産がはめられているのにも関わらず、魔力がそこまで低下していない。コラソンの想定していた通りに動く事態に満足し、コラソンがそのまま去ろうとすると、
「一つ頼みがある」
「何よ」
いつの間にか背を向けていた看守長に呼び止められた。
「新人、鍵を閉めろ」
「え、中に誰もいませんが……?」
「いいから」
看守長は新人の方にも視線をやらないまま、今までチキータが入っていた牢屋の鍵を閉めさせる。この行動には、精神的に弱っていたチキータも首を傾げざるを得なかったようで、コラソンとともに、不思議そうに二人を見つめている。
ガチャリ、と鍵が再度かけられた。すると今度は、コラソンに指示を出す。
「あの牢をぶっ壊しといてくれ、派手に頼むぞ。できれば、鍵がめちゃくちゃになるようにな」
看守長の思惑に気が付いたコラソンは、なるほどね、といった様子で小さくうなる。
「あぁ、そういうこと。そうすれば見逃したことにはならないもんね……一見すれば、の話だけど」
一度チキータを出してやって閉め直したのは、砕けた残骸などでケガをしないようにとの配慮だろう。
こうして、ファフル自警団の地下牢が一つ、使い物にならなくなった。