ルテリカ王国物語第一章 魔女の居場所◆1

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春先の週初め。
彼女は石造りの道を行ったところの酒場に入り、カウンターで木製グラスを並べているマスターに声をかけた。度数も値段も高い酒を一杯注文して席につき、掲示板を眺める。物々交換を請う貼り紙だったり迷子の情報募集だったり、多岐にわたる内容の文書が、そこには貼り付けられていた。
その中でもカタリナの目を惹いたのは、魔女に関する貼り紙だ。
「魔女を見つけたら二百金貨、ね」
依頼主はルテリカ王国軍。カルフォシア公爵が張り出しているようなものだ。公爵のことを思い出すたびに、カタリナは心を憎しみに染める。
二百金貨もあれば五年くらいは遊んで暮らせる。けれど、結局はその程度でしかない。五年なんて短いものだ。
カタリナは昔を思い返す。母を亡くしてから五年たった。自分の母を公爵に密告したあの男は、どうなったのだろうか。また飢えを凌ぐだけで精一杯の生活に戻っているのだろうか。あるいは、金目当ての野盗にでも襲われて、即日無一文に戻っている可能性もある。むしろこちらのほうが想像にたやすかった。
「なーんて」
テーブルに出された酒を口に含み、どうでもいい思考を頭の中でぐるぐるとかき混ぜる。嫌な思い出をすべてアルコールに溶かして、心から蒸発させるのだ。
「今週分」
酒をちびちびと呑んでいると、背後から青年の声がした。同時にテーブルに手が置かれ、金属がこすれる音が響く。その手はすぐその場から退き、その下から数枚の銀貨と銅貨たちが姿を現した。
顔を見ずともわかる。カタリナの幼馴染、フェリクスという名の青年だった。
「なんか少ない。最近減ってる」
カタリナはささやくように事実を並べる。
「足りてるはずだ」
「全然足りないってーの」
カタリナはもう成人してしばらくたつというのに、一切稼ぎがない。唯一の収入は、この青年フェリクスから渡されている貨幣のみだった。
カタリナ自身は足りていないと言ってるものの、彼女が週の初めからいきなり酔っているのを見れば、小遣いを余らせているのは間違いないとフェリクスは断言できる。なぜなら、ルテリカの民のほぼすべてが、極めて度数の高い酒でないと酔えない体質なのだ。それはフェリクスもカタリナも例外ではない。
「酒代を削れ」
「それ、マジで言ってる?」
「マジで言ってるに決まってるだろ」
この一言でようやくカタリナは後ろを見た。見たと言っても振り返ったわけではなく、肩から上を器用に真後ろに倒したのだ。
フェリクスに見せたその顔は逆さまにひっくり返ってはいたものの、たちの悪い酔っ払いそのものである。
「えー、お酒で酔えなくなったら私死んじゃうんですけどー」
ひるがえった前髪と、それに伴って露出した額の妖艶さにフェリクスは一瞬顔を朱に染めた。アルコールで火照った彼女の肌が、またつややかさを助長している。
だが、遅れて漂ってきた酒臭さで彼は顔をゆがませる。
完全に出来上がっていた。
しばらく無言で見つめ合って数秒。にぎやかな酒場の客たちの声だけが二人の間に耳に入ってきていた。
やがてフェリクスが沈黙を破る。今の今まで呆れ果てて声が出なかったのだ。
「まったくお前はってやつは……そこの貼り紙を見ろ、カタリナにだってできる簡単な仕事、いくらでもあるじゃないか」
「へー、私にもできる仕事?」
疲れたのか、真後ろに倒されていたカタリナの首が正面に戻る。フェリクスからは、その表情が読めなくなった。
家業を継ぐくらいしか収入安定の道がないこのご時世……継ぐ家業さえない者たちにとっては生きること自体が地獄だ。日々安い日給の貼り紙仕事に死ぬ気で食らいついて生をつなぐか、あるいは奴隷になったほうがマシかもしれなかった。
彼女はしばらく貼り紙を眺めたあと、フェリクスを横目で見て、静かに一言。
「……二百金貨のやつに名乗りを上げるとか?」
背中越しの彼女の声に、フェリクスは背筋が凍るような思いがした。またもや二人の間に沈黙が降り立ち、群衆の声だけが頭の中を駆け抜けていく。二百金貨の報酬金が提示されている依頼など、一つしか存在しない。
「バカを言うな……お前のお袋さんに顔向けできん」
彼は一言シャレにならないとだけ付け加え、黙ってしまった。
「じゃあ何があるのさ。あなたはいいよね、治療が得意だからね。医者はそう簡単に潰れない仕事だもん。ほら、何があるのか言ってみなさい」
「迷子探しとか」
「はっ」
カタリナが鼻で笑ってから、グラスを口につけ、一気にその中身を飲み干した。
フェリクスの視線の先にある迷子探しは、報酬金の欄に〝パン一切れ〟と書いてある。
「報酬金がパン一切れ。これ笑いどころ? ぜんぜん笑えない。はいパン一切れーって言って、ちょーこじんまりしたパンくず出されるのがオチよ」
「まあな……」
「いやいや、そこ同意したらだめでしょ」
カタリナは苦笑ながらも、フェリクスが否定できないのも無理はないと感じていた。実際に曖昧な報酬をちらつかせて、トンチみたいな返しをしてくるやり口が、すでに横行してしまっているからだ。
「なんにしても……いずれはやれることでもやりたいことでもなんでもいいから、見つけろよ」
「やりたいこと? それ、ここで私に言わせる気?」
カタリナは真剣な面持ちになって、フェリクスに問う。幼馴染以前に〝母の友人の息子〟である彼に。
まだまだ日は昇ったばかりだというのに、この酒場はずいぶんと儲かっている様子だった。
王都から離れた街にしては、なかなかにぎわいのあるほうで、要するに、とにかく人がたくさんいる。些細なものだが、昨日から続けてこのティリス街で祭り事があるのだ。そのため、普段この街では見ない顔ぶれも多々あった。
少し視線を動かすだけで、何人もの客が視界に入る。
フェリクスは黙った。カタリナがわかってて黙らせたのだ。
「私にだって、やりたいことくらいあったのよ」