ルテリカ王国物語第三章 変化と成長の兆し◆2

13

「で、話って何さ」
カタリナの診察と治癒が終わって、ケビンの傷はほぼ完治した。すっかり顔色が良くなった彼が向かったのは、約束通りフェリクスの元である。とても大切な話だと言って、カタリナには席を外してもらっていたのをケビンは見ていた。
「お前、自分の親父のことどう思ってる」
「な、なんの話? 急に……」
「いいから。答えてみ」
沈黙が降り立ち、暗い洞窟に呼吸音のみが反響する。
ケビンは頑なに口を開こうとしない。あきらめたようにフェリクスが肩をすくめる。
「ま、いいさ。ほれ」
フェリクスはケビンに歩み寄って彼女の手のひらを引っ張り出す。そしてあるモノを懐から取り出して、その小さな手のひらの上に乗せた。コイン大の小さな物品だったが、ずっしりとした重みがあった。そして固くて冷たい。
「あっ……!」
黄金の輝きを放つそれは、ケビンが大事にしまっていたはずのモノでもある。慌てて自分の懐を探るが、しまっていたはずの場所にない。
「まさか捨てずにいるとは、意外だね」
嘲笑うように小さく笑って、フェリクスは言った。
手の中に簡単に収まってしまうほどに小さな、しかし見た目以上に重い金塊。そこに彫られたる蛇の文様は、カルフォシア公爵家の家紋である。代々公爵家に新生児が生まれると精錬・彫刻され、その子に授けられる血統の証明。
フェリクスは頭が切れる上、王国軍に従軍していたこともある。ケビンは今更、自分が公爵家の血統の者であることを隠すことはできない。
その上、これを捨てずに持っているということは、公爵家を完全に捨てる決意が未だできていない表れと言える。いざとなったらこれを振りかざすことで、いくらでも顔が利く。捉えようによっては、フェリクスに悪印象を与えているかもしれなかった。
「公爵家のご子息はもう亡くなってるし、ご息女は失踪……つまりはそういうことなんだろうなあ」
「これはその……」
言い逃れのしようがない現状に、ケビンはしどろもどろとしている。そこへ、フェリクスが興味なさげに口を開いた。
「でも、ま、いいんじゃないかね。利用できるもんは利用して当然。俺はそう思ってる」
フェリクスは微笑んで、若干沈黙が場を支配する。ケビンは問い詰められる覚悟をしていたが、話はそれきり続かなかった。
「傷は問題なさそうか?」
「え? ああ、脇腹の……もう平気。走っても痛くないよ」
「そうか。カタリナの治癒の腕はそこそこなんだな。んじゃ、カタリナも待たせてることだし、さっさとこんなジメジメしたところおさらばしたいんで、案内頼むわ」
何も訊かないフェリクスに、ケビンは少し拍子抜けして、目をぱちくりさせていた。
「ま、待ってよ! もう訊くことはないの?」
「根掘り葉掘り訊いてほしいのならそうするが?」
「あ、いや……」
ここでケビンは看病されていたときにあった先ほどの妙な間を思い返す。彼が変に間を作ったのは、ケビンに考える時間を与えるためだったのだ。ケビンが真実を言うか隠しておきたいのかを確認し、そしてフェリクスは彼女の意思を尊重することにしたのである。
フェリクスがカタリナの元へと歩み出す。彼の背中についていくケビンは、わずかに頬をほころばせていた。
「でも、やっぱりカタリナさんに隠すのはよくないと思うから、伝えておきたい」
「ほーん、言うのか。あまり言わないほうがいいと思うがな」
「フェリクスはまたそういうことを……カタリナさんのこと信用しなさすぎでしょ。結婚までしたっていうのに」
「それとこれとは別問題だ。ったく、忠告はしたからな」
最初は、可能な限り全力で隠し続けるつもりだった。それ以外の考えは、一切浮かばなかった。でもフェリクスの反応を見て、ケビンは心変わりした。それは本当にちょっとしたきっかけでしかなくて……しかし、繊細かつ大きな心のゆらぎだった。
理性的な理由はない。ただの勘だ。この二人は、信用してもいい。ケビン自身――リーゼロッテ自身の心がそう感じて、そう決めたのだ。

カタリナの元に戻り開口一番、ケビンはカタリナを驚かせた。
「僕、本当の名前はリーゼロッテって言うんだ」
「……それ、マジで言ってる?」
「大マジ。隠しておくのはあまりよくないと思って……ほら、これ」
懐から件の小さな金塊を取り出し、カタリナに見せた。
「ん、あーこれさっきの?」
「え?」
もっと驚かれるものだと思っていたケビンは、予想外に軽い反応に眉をひそめた。
(しかも、さっきのってどういうこと?)
名前のほうには驚きを見せたものの、この公爵家の家紋には驚かない。いったいどういうことなのか。ケビンは首を傾げざるを得なかった。
これはただの金塊の数百倍の価値を持ち合わせている。この家紋の前でなら、子爵以下程度の小貴族ならひざまずかせることだってできるのだ。しかしカタリナの反応は、はっきり言ってその権威とはまったくもって噛み合わない。
「無駄だよ無駄。こいつは公爵家の家紋なんて大層なもん知らないし、その価値もわからないから。実は一番最初にこれを見つけたのは俺じゃなくてカタリナなんだよ」
「え? ……えー!!」
「なに、この金塊はそんなにすごいものなの?」
ケビンが驚愕に目を見開いて声を荒げる一方で、カタリナは変わったものを見る幼子のような、好奇心がありつつも呆けた面でその家紋を眺めていた。カタリナにももちろん、金目のものであることは理解できるが、貴族だったことをとっくに白状してしまっているケビンが多少高価なものを持ち歩いていても不思議はないと思っている。
このサイズの金塊なら、二十金貨も積めば手に入る。もちろんそれは庶民にとっておいそれと出せる金額ではないものの、貴族にとっては些細な出費だ。金塊に彫られた家紋に価値を見出していないカタリナにとって、この金塊はただの二十金貨で売却できる物品にすぎないのである。
「まさかカタリナさんがここまで世の中に疎いとは……」
「な。俺がこいつの旅に反対する理由が少しはわかったろう」
「なんか私、馬鹿にされてる? よくわかんないけど、ケビンが実はリーゼロッテ様だってことはよくわかったわ」
腰に手を当て、胸を張って主張するカタリナ。精一杯自分が馬鹿ではないことを証明したいらしいが、もはやときすでに遅しである。フェリクスは呆れを、ケビンは苦笑いを隠せなかった。
「でもまあ、今更リーゼロッテ様って呼ぶのはな」
「ケビンで頼むよ。むしろそう呼んでもらえるほうが僕も助かるよ」