藍色のハンカチ4 冬、姉と藍色のハンカチ(終)
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ガチャガチャという音が懐中時計のチェーンが自己主張している音だと気がついたときにはいつの間にか、僕の冬は再開していた。
日はまだ高く、場所は公園ではなくて友人宅に向かう途中の小道。地面は間違いなくアスファルトだった。時間移動する前と全く変わっていない、ただの日常がそこには存在していた。
僕が過去に行っている間、わりと適当に歩き回って何も気にしないのは、こういうことも理由になっている。僕が移動先で何時間も何をしていようが時間移動から帰る先は四次元的にも出発点そのままであり、常に一定なのだ。
「つめてえ」
手に持った缶ジュースが今までの非現実的な現実を、夢ではないとはっきりと示していた。かばんの中にしまっていた上着とジャンパーを着直して、当初の目的を果たすべく友人宅へ向かう。
「あ……」
その途中、涙を拭おうとしたとき、リョウカからハンカチを返してもらっていないことに気がついたが……まあいいだろう。別に高級品というわけでも誰かからの贈り物というわけでもなく、すぐ近くの雑貨店で買った安物だ。また買い直せば事足りる。
友人にノートを返してようやく帰宅した僕は、玄関へ回るのがめんどくさかったので勝手口から家の中に入る。玄関は鍵がかかっているのに、勝手口はいつも鍵が開いているのだ。近所に知り合いしかいないといっても過言ではない状態にあるとは言え、まったく不用心なことである。
「ただいま」
「おかえりー」
いつもとは違う場所から声が聞こえてきて、僕は少し不思議に思った。この時間、姉はリビングにいるのだが、今の声はリビングとは真逆の方向、おそらく姉の自室からだろう。缶ジュースを冷蔵庫に入れたあとに荷物を自分の部屋に置いてから僕がそこへ足を運ぶと、サラサラの長い髪を垂らして、何やらボロボロの藍色の布切れを眺めながらほくそ笑んでいる姉がいた。なんだか少し気味が悪い。
「なにそのゴミ」
「ゴミとは失礼な。これはお姉ちゃんのお守りなんだよ。初恋の人からもらったハンカチ」
「藍色の……ハンカチ……」
それの意味するところに気がついてしまった僕は、脳に電撃が走った。そうか、あそこは十六年前だったか。初めて年まできっちりしぼりこめた僕は気分がすっきりして、いよいよ満足した。
「そう。これはハンカチなのよ。ゴミじゃない」
「そうだね」
静かにそう言う姉に、僕はヘアゴムがあるか訊ねる。
「ヘアゴム貸してくれない? 二つ」
「ヘアゴム? その引き出しに入ってるけども……」
僕は姉が指し示した後ろのタンスの一番上の引き出しを開け、ヘアゴムを二つ取り出した。また藍色の布切れに視線を落としていて思い出に浸っている姉の後ろに回り、頭頂に近い左右の髪をかき集める。
「ちょっと、びっくりするでしょうが。何してんのよ」
集まった髪からシャンプーの香りを感じながら、それをゴムでふさふさした二本の束にまとめた。姉は自分で髪を何度か触って、自身に起きた変化に気がつくと大きな声を上げる。
「あー! アンタ、私のアルバム見たでしょ!! 一体いつの間に……」
ツーサイドアップは、短髪にも長髪にも似合う万能の髪型だ。
「いいじゃんか。それで仕事行けば?」
「いやいや。こんな子供っぽい髪型で仕事なんて行けないから。アイドルとかならまだしも……」
「じゃあアイドルになる? リョウカちゃーん、こっち向いて―」
「うるさい!」
姉は顔を少しばかり赤くしながら、あくせくとゴムを外そうとしている。僕はそんな姉に対して可愛いと思ってしまった。でも、そんな自分を憎いとも屈辱的だとも思わない。だって今の姉は確かに、可愛くて素敵なのだから。それを可愛いと感じるのはごく当たり前のことで、無駄に抵抗するほうが不合理的というものだ。