チキータの遺産第一幕 呪いの指輪◆7

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数時間後、フラビオがビークルを走らせ始めると、チキータとコラソンの二人は気持ちよさそうに寝ていた。今までで仕事でも夜中の火の番を交代でやったりすることはあったが、今回ばかりは交代してくれる人がいない。
「ぬあああああ! やっぱり無理! 眠い!」
きっと鏡を見れば、その中にやつれた顔の自分がいるのは間違いない。ここまで人が寝ている姿を妬ましく思ったのは久しぶりだ。
「大丈夫?」
ハイメが自分の銀髪をいじり回しながら訊ねた。
「わりとやばいかもしれん」
「みたいだね」
表情一つ崩さず言う点は癪だったが、それは最初のうちだけ。もはやそんなことを気にしている余裕はなかった。ハイメとの軽口を叩き合うことが、なんとかフラビオを睡魔から守ってくれている。
再出発から続くこのやりとりが、初めはうるさくてしかたがなかったのに、今はハイメなしではやっていける気がしない。
「じゃあ、僕が動かしてあげるよ」
「操縦は不得意なんだろ」
「誰も操縦するとは言ってない」
「はあ?」
噛み合わない会話に、フラビオは疑問を抱く。そんな彼を尻目にハイメは眼帯を外して緑の瞳を露わにする。その瞳はすぐ隣の蒼い目とは違って、優しさに満ちていると無意識に感じていた。
ハイメは静かにまぶたを下ろす。やがて小さく息を吸って吐き、再び目を開くとこう言った。
「エンジンを止めて、もう操縦しなくていいよ」
助手席に腰掛けたまま何を言ってるんだと思っていると、ビークルが勝手に動き出した。しかし、車輪が回る音がしない。
「思ったより重くないな、この距離なら余裕だ」
「な、なんだ!?」
「このままでもいいけど、マナがもったいないでしょ? 早くエンジンを止めなよ」
何が起こっているのかわからないまま、フラビオは言われたとおりにエンジンを停止する。だがやはり、ビークルが止まる様子はなく、ただただ、静かに前へと進んでいた。聞こえるのは後ろの荷物が揺れる音と、二つの寝息だけだ。
「お、おい、さっきから何をしてるんだ?」
「君の言うとおり、僕は飛行の魔法は得意だよ。でもチキータを置いていくわけにもいかないし、だからといってチキータだけ連れて行くのも彼女の精神が不安定になりかねない。というわけで、ビークルを数センチほど浮かせて前に進めているんだよ」
「馬鹿な……お前は氷のファミリアじゃなかったか? 自分自身を持ち上げるくらいはできても、こんな重いものを運べるなんて考えられない」
ハイメは自分の魔力を使ってビークルごと持ち上げるように前進しているらしかった。中に四人も人を乗せて、重量は一トンは超えているというのに……馬鹿力というか、とんでもない馬鹿魔力とその精密な魔力操作技術を見せつけられて、呆れと感嘆の声が出る。
(ここまで重い物を運ぶことができるのは、風のファミリアくらいなはずなのに……そうでもないこいつが飛行魔法をここまで使いこなせるのは、生まれ持った才能なのか、それとも努力の結果なのか……)
「これはチキータの力を僕が借りて使っているに過ぎない。彼女は風のファミリアだ。僕は杖を使って氷の力を増幅、そしてこの、緑の目を媒体に風の力を増幅することができる」
フラビオの心を読んだであろうハイメが、自分の緑の瞳を指して答えた。
「そういえば、お前はチキータと主従契約を結んで、お互いに力の一部を貸し借りしていると聞いたことがあるな」
魔族たちはいくつかの属性に分類された魔神に、生まれながらにして従属している。ハイメが心を読むのを得意としているのは、読心が氷属性の魔法だからだ。このように、魔族は元から自分の上位存在に従うことを運命として定められているため、ハイメのように魔神に加えてさらに魔族の下に付き従うのは、めったにないことだった。
魔神の下にあっての魔族。それ以外の下に付いた時点で、そいつはもう下等の生物だ、奴隷だ、家畜だと言い出す者も少なからずいるこの世の中で、このような契約の結び方は普通はしない。
その上ハイメはハーフ。今は種族間の架け橋として重要な存在となっているカシアも若い頃は混血という事実のせいで差別を受けたというのだから、ハイメの苦労は計り知れない。それでいて、暗黒時代に民衆の上に立って力を振るえたことを思えば、ハイメがいかに高い実力の持ち主だったかが伺える。
そして、力でねじ伏せることに長けた人物であるということも。
「にしても、なんだか体調が悪そうだけれど……こういうのダメだったんだね」
悟ったようにハイメが言う。実はフラビオは少しだけ冷や汗をかいていて、先ほどから体が小刻みに震えていたのだ。
「あー、いや……高所恐怖症みたいな……はは」
「高所? 数センチしか浮いていないよ?」
「それでもこのフワフワした感じがダメなんだよ」
「ふーん、まあいいや。耐えてもらうしかないね」
「まあ、このくらいなら、たぶんなんとかなる」
フラビオを冷たくあしらい、ハイメは魔法に集中した。
「さて、速度は先ほどとほとんど変えていない。あのまま進んで、ロシュエルまであとどのくらいで到着予定だった?」
「あと二時間くらい」
「そうか。短い間ではあるけれど、しばらく休んでいるといい。街が見えるところまで行ったらそのまま止めておく」
その声はやはり無感情だったが、フラビオも今回ばかりは嫌悪を抱く気にはなれなかった。
「……おう、助かるよ」
ハイメを警戒してコラソンを見張りとして起こしておいたほうがいいかもしれない、などという考えが頭の中をよぎっているものの、もう睡魔はすぐそこにまで迫っている。釈然としない思いを抱きつつも睡魔には勝てず、そのまま寝入ってしまった。