チキータの遺産終幕 チキータが遺したかったモノ(終)

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「殺戮の化身が復活した」なんて噂による民衆の恐怖は、カシアさんの事件が大きく広まってから、あっという間に静まった。原因は三つある。
まずはそれだけ、カシアさんは皆から慕われていて、今回のことは大きく世界が衝撃を受ける事態だったってことだ。平和を乱す噂さえも上書きしちまう。カシアさんの影響力は侮れない。
それからもう一つ、そのカシアさんの事件を解決に導いたのが、まさかの殺戮の化身だったということ。これに驚きを隠せなかったという様子の奴らは本当に多かった。
でもって、最後の原因はこの中に、チキータの名があるからだろうな。

カシア・アルベルタ。死刑。
コラソン・アルベルタ。懲役五年。
チキータ・ロサリオ・ド・ラ・マルシュ。死刑。
ハイメ・サラザール。死刑。

戦いによって知り合いがどんどん死体になっちまうなんてのは、もう何度も経験していた。だけど、こんなにも同時に知り合いの死刑や懲罰がずらりと並んでいるのを目の当たりにすると、さすがの俺でも立ち直れなくなりそうだ。
だが俺はもう決めたんだ。悲劇の主人公を演じるのはやめる。子どもっぽい行いはやめる。守れなかったのは悔しいけど……罪には必ず罰が下るもの。例外はない。
カシアさんは数えきれないほどの孤児の命を奪った罪。コラソンはその幇助の罪。ハイメは暗黒時代の行いすべてに対する罪。チキータも同様。
カシアさんは法廷で死刑が下されたあとはもちろん、死ぬ間際までもみっともなく喚いていた。こんな奴に今まで尊敬の意を抱いていたと思うと……なんだか悔しいよ。情けない。
俺はコラソンやチキータ、ハイメの減刑を求めたけど……ほとんど叶わなかった。コラソンの刑期はかなり縮んだけど、二人が死刑なのは覆らなかった。とくにチキータはカシアさんが起こした事件の解決したことも考慮して、もう少し軽くてもいいんじゃないかと抗議したけど、チキータは「死の方法を選ばせてくれるのなら構わない」と減刑を拒んだ。
伯爵だって今は表に堂々と立ってるんだから断ることなんてないのに、馬鹿な奴。
まあ、考えても仕方ねえ。俺はチキータの意思を尊重する。自分にとっちゃ赤の他人であるニコラスのことを、チキータは助けてくれたし……あのコの面倒は、俺が見る。
出所したコラソンがあのコを見たら余計に悲しみそうだけど、喜んでやらないとチキータが泣くぞって、脅してでも喜んでもらう。だから安心してくれ。
しかし、チキータに関しては侯爵が根回ししてて、どう頑張っても減刑は不可能にされていたってイラーナ伝いに聞いたしなあ。ったく、侯爵様はどれだけ嫌ってるんだよ、娘のこと。そんなにプライドが大切なのか。貴族ってヤツは。
さて、書きたいことはまだまだあるが、ファフルにあった家はイラーナにくれちまったし、ロシュエルの橋の修繕費を少し出したから、また稼がなきゃならん。
わざわざチキータが置き土産みてえに遺した新しい家族のためにな。
血なんて当然繋がっちゃいない。だけど、俺はそういうこと気にしないよ。コラソンだってチキータだってハイメだって……まあ少々癪だが一応カシアさんも、みんな俺の家族だったと思ってるからな。

そこまで書き込んで、フラビオは手記を閉じた。静寂に満ちた小さな借り家の一室、椅子に寄りかかると、ギイと木がきしむ音がなる。それに被って、木造の古い床のきしむ音……足音が廊下から聞こえてきた。
「フラビオさーん」
次いでフラビオを呼ぶ声がした。中性的な女の子の声だ。フラビオは立ち上がって返事する。
「なんだー?」
「次の仕事、明日の何時に出発だっけ?」
廊下で待っていたその少女は艷やかな赤髪だった。幼さがどうしても抜けない顔立ちに見合わない長身を持っている。身長百七十後半のフラビオとぴったり目線が合うほどに高く、それはコラソンさえ凌駕していた。
別に少女は身長を利用して高圧的な態度をとっているわけでもない。しかしそれでも、写真で見るだけでは感じられないすさまじさ……大きなギャップがあった。フラビオは、ともに暮らすようになってしばらくはそれに気圧されていたが、今はもう慣れっこだ。
高身長でありながら、リンゴのような赤髪の頭をぽんぽんされるのが好きなようで、たまに差し出される頭をかき撫でてやることもある。
「夕刻。五時くらい」
「ずいぶんと遅いのね」
「本番は明後日だけどな。夜戦になるからその準備だよ。体内時計と目を慣らさなきゃいけないんだ」
「ふむふむ」
フラビオが説明すると、長身の少女はうんうんと何度かうなずいて見せた。すでに気合充分といった様子だ。
フラビオが夜の仕事を受けるとき、一日前に昼夜逆転生活をして、できるだけ有利に動けるようにしている。初めは三日ほど逆転生活を送らなければ上手く調整されなかったが、今では一晩で十分になっている。
「毎回言ってるが、無理することなんてないんだぞ。別にお前は何も悪いことしてないと思うし」
「……無理なんてしてないしてない」
少女が眠っている間、彼女をめぐって起きた事件が残していった爪痕は深く大きい。暗黒時代ほどに規模は大きくなかったが、ロシュエルで自分のために死んでしまった子たちが幾人もいる事実に、少女は少し責任を感じている様子だった。
くるりと背を向ける。そこには赤髪のポニーテールが揺れて、そこから女の子の香りが漂う。フラビオは思わず髪を触ってみたくなったが、やめた。なんだか怒られそうな気がしたのだ。いつもかき撫でているというのに、おかしな話である。
その大きい背中はしばらく黙っていたが、やがて自分の信条に則り言う。
「私がそうしたいからよ。自分の感情に素直に従う、これはとっても素晴らしいことだと思わない?」
もしもすべてが自分のせいでなくとも、責任を感じているのならそれが取り除かれるように立ち回ればいい。もしもそんな責任に押し潰されそうになったら、そのときの感情に従って一旦休めばいい。
「そうかもしれない」
裏表のない少女とかつての仲間に評された彼女はそんな風に考えているのだろう、とフラビオは思った。
すべてを放り出してお気楽に過ごすわけでもなく、すべてを胸の内に抱えて一人で空回りするわけでもない。まだまだ彼女は十七歳。自分より年下なのに、いい人生の手本になりそうだとフラビオは感じていた。やはり生まれが特殊であると、自然に物事を達観するようになるのだろう。
上手に周りの人々を愛し、世界を楽しんでいる。自分自身の扱い方を知っている。そんな少女のことが、フラビオは少し羨ましかった。
チキータが命と引き換えに遺した少女からは、フラビオもたくさん学べることがきっとあるはずだ。