チキータの遺産第二幕 地方都市ロシュエル◆2

10


フラビオたちは軽口を叩きながらビークルに戻った。その頃には、チキータとハイメも中に戻っていた。まだ一日は始まったばかりだったので、朝食をビークルの中でとることにする。チキータはすぐ自分の分を平らげると、今日は特別眠いとか言って、さっさと眠ってしまった。
「最近、食べて寝て、食べて寝てばかりよね」
隣の助手席でお腹をぷにぷにしているコラソンの声に苦笑した。その目は、太りにくい体質のチキータを羨む視線そのものだ。コラソンも特別太ってはいないけれど……なぜそこまで気にするのか、フラビオには分からない。
チキータには、嫌なことがあると寝る癖がある。ふて寝というものをすぐする性格なのだ。日はまだ低いが、朝から寝入るようなら、今日の悪夢はよほどひどかったに違いないと思った。
目覚めてすぐ顔を合わせた時に、夢について尋ねるべきだっただろうか。相談に乗るべきだっただろうか。でも……相談に乗ったところで、なにか良いアドバイスができただろうか。自己嫌悪の渦に飲まれながら噛み砕くベーコンは、おいしいとは言えなかった。
「ん? なんだかいつもと様子が違うな」
全員が朝食を終えて一休みしたあと、助手席にコラソン、シェルにフードを深々と被ったハイメと寝入ったチキータを乗せて、地方都市ロシュエルの入り口までビークルを動かした。普段ここはそんなに警備が厳重ではないのだが、今日ばかりはそうでなかった。
「帝国兵だわ、面倒ね」
帝国に守ってもらうだけでなく自ら自分たちを守る、という自警団の概念は、ロシュエル発祥のものであり、ここではその誇りも高い。若者の過半数が自警団志望で、実際に自警団に所属している市民も普通より多い。
なので緊急事態や特別な来客がなければ帝国兵までもがロシュエルの警備に当たることはないのだが、どうやら今日はその特別な時だったようだ。
これはまずい。フラビオはチキータとハイメを隠し通せるか心配だった。
「あ、あれ、イラーナじゃない?」
コラソンの声に警備している人物たちに目を移していくと、フラビオはそこに長い緑の髪をツインテールにまとめた、小柄な少女の姿を見つけた。
「よう、イラーナ。お仕事ご苦労さん」
「お、フラビオとコラソンじゃん。お前さんたちもここの警備に駆りだされたの?」
「いいや、俺は仕事で来たんじゃないよ。今日は一際忙しそうだけど、なにかあったのか?」
コラソンとは対照的に小柄な彼女の名はイラーナ。フラビオと同じく賞金稼ぎを生業とした少女で、王国出身の魔族だ。そのこともあって、王国からの依頼が多く、その中でもマルティーニ伯爵の指示で動いていることが多い。
幼さを含む小生意気な顔立ち、そんな頭が乗っかる体はチキータよりも華奢で威厳は微塵も感じないが、それらに惑わされて甘く見ると痛い目に合わされる。高密度かつ多量の魔力を持ち合わせている魔族としても有名で、敵に回すとなかなか手ごわい。
恐らく現存する魔族の魔力量を順位付けしたのなら、一位がチキータ、二位がイラーナといったところだろうな、とフラビオは考えた。
態度がデカく口も悪いが金には忠実で、金さえ貰えれば平気で誰の敵にも回り、平気で誰の味方にもなる。まさに賞金稼ぎが天職だといってもいい少女である。
フラビオとはタイマンで剣を交えたこともあり、そのときはお互い譲れない仕事を本気で遂行していたこともあってマジで殺されるかと思ったものだ。だがこの話には、イラーナ側の依頼主が提示した数倍の値段を出すことで手を引いてもらった、なんていう裏エピソードがある。
「私が駆りだされた理由は二つあってよー、一つは伯爵様からの極秘の依頼だ。んで、それが終わって帰ろうと思ったんだけど、今度は町長夫人を通して街の警備を依頼されたんで、そのままここに残ってるわけさ。私が先に警備についてたら、あとから帝国兵がぞろぞろ来たもんだからびっくりだよ」
町長夫人とはカシアのことである。町長夫人、テネブラエとの戦いを終わらせたキーパーソン、加えロシュエル自警団団長ときた彼女の権力は、範囲こそ狭いものの強力だ。
話を聞く限り、どうも帝国からの直接的な依頼でここを警備しているわけではないようだったが、守りを固めさせているのは帝国の指示だろう。
「つーかお前、よく警備なんてめんどくさい仕事引き受けたな、いつもなら、ただつったってるだけで楽しくないーとか文句言って断るくせに」
「報酬がいつもより高かったし、それに、なんだか金の匂いがぷんぷんしたのさ」
「相変わらずがめついんだな。結局金かよ」
「そんなことよりもよー、お前さん、面白い子連れてるじゃん」
イラーナは口角を吊り上げていたずらに笑い、シェルの中を覗き込む。ハイメと、チキータの姿を見られた。相変わらずチキータは眠ったまま。すぐそばに座るハイメはイラーナと目を合わせても表情を変えない。
「あ、ちょ、お前……!」
「やめときなさい」
フラビオは焦ってシェルに半身を乗り出すイラーナを引きずり出そうとするが、今まで黙っていたコラソンに制止される。
ここは検問所だ。警備を任された者がビークルの中を確かめるのは当たり前のことで、それを嫌がるなんてのは不審なものを隠している証拠になってしまう。騒ぎを起こしたらとんでもなく厄介なことになる。
読心魔法が得意なハイメがとくに騒ぎ立てないのなら、神経質になる必要もないのかもしれない。ここはイラーナに主導権を握らせることにした。
耳元にイラーナの唇が近寄ってきて、ささやく。
「帝国兵が集まってきたのはこういうわけだったってことかねー。フラビオ、お前さん、どういうつもりだ? なんでこいつら、こんな静かにしてるんだ?」
不思議そうに、そしてどこか楽しそうにイラーナが訊いた。
「それは……」
魔族なら、顔を見た途端この二人が危険な存在であることは簡単に分かる。相手がイラーナでなければ、即声を上げられて、今さら牢屋行きになっているかもしれない。
「にひひー、金貨十枚でどうよ」
「き、金貨? なにが?」
「だからさー、金貨十枚で見逃してやんよって言ってんのー。さっさと出さないと声出しちゃうよー?」
他の兵たちは、自分たちの担当する検問に忙しそうにしていて、こちらには目もくれていない。殺戮の化身に、その従者、二人の存在がバレたら大事になる。見逃してくれるのなら支払っても全然構わないが……金貨十枚は大金だ。今そんなに持ち合わせがない。フラビオが唸っていると、コラソンが小さい声でイラーナに迫った。
「金貨十枚!? イラーナ……アンタねえ、このビークル三台は買えるんだけど」
「そんなもんわかってて言ってるってーの。お金のことならイラーナに聞けって言い出したのコラソンっしょ。払うのー? 払わないのー?」
魔族の黒い尻尾を規則的にぴょこぴょこ揺らしながら、イラーナは猫なで声で訊いてくる。
「こ、このチビ……」
「チビのほうが可愛いしー、デカ女に言われたかないぜ」
仲良く口喧嘩をしている最中も、フラビオはずっと考えこんでいた。
さて、どうするのが最善か。イラーナにとっての、自分やコラソンに対するある程度の信頼はあると信じているが、この少女は金のことにはうるさい。一緒に仕事をしていても、食費は経費から落とすなという。とくにイラーナは食事を必要としない魔族だし、食事をする魔族がいるにしてもそれは自分とは関係がなく、こいつにとって食事なんて金が減るだけの無駄な活動でしかない。
しかし、金は必要最低限しか持ってきていないのだ。この町の宿のやや質の良い部屋に数日宿泊できる程度……金貨一枚と銀貨五十枚、そして数枚の銅貨しかない。ここで金を渡してしまうと、ボロ屋に泊まることになるし、そもそも今持っている全財産を出してもこいつが納得してくれないのは目に見えている。イラーナが納得する結果が出せなければ、拘束は免れない。最悪の場合、ここでハイメが暴れて殺し合いになる可能性だってある。
ハイメの実力はファフルからの追っ手に対して脅しと拘束をした際にしか見ていないが、それでもなかなかの実力を持っていると感じている。
「……このビークルを担保に入れて、後払いするっていうのはどうかしら。鍵は二つあるから、今一つ渡しておいて、宿に停めたあともう一つを取りに来てもらえばいいわ」
フラビオが苦虫を噛み潰す思いで悩み抜いていると、コラソンが彼に耳打ちした。確かに、この条件に金貨一枚くらいの頭金をつければ、こいつも納得してくれるかもしれない。というか、納得してもらわないと困る。
「そうするしかなさそうだな……」
フラビオはイラーナの小さな手に自分の手を重ねるようにして握りしめた。中には、金貨が一枚入っている。手を開いたイラーナが、ツインテールを揺らしながらジト目でこちらを見た。
「フラビオさー、私を馬鹿にしてんの?」
「それは頭金だ」
「これが頭金? ばーか、だとしても足りねーよ」
イラーナは挑発するような面持ちで言い、受け取った金貨を指で弾いてキャッチ。そしてそんな態度を取りつつ袋にしまってしまう。怒っているわけではなさそうだが、やはり不服そうだった。
次いで一つの鍵を渡す。
「その上でこのビークルを担保に入れてやる。これはその合鍵だ。俺たちは孤児院のすぐ隣の宿に泊まる予定になっている。仕事を終えたらビークルを受け取りに来るといい、そのときに俺が持っている鍵も渡す」
「ほー、なるほどなるほど、しょうがないねー、私もお前さんたちには世話になってるし、契約成立! 壊さないように大事に扱ってやるから、ちゃんと残り九枚、あとで寄こせよー?」
担保の話をした途端、先ほどの様子とは打って変わってイラーナの声と顔に喜びが満ちた。まだ吊り合わないとか言って最終的に全財産を明け渡す覚悟もしていたのだが、思ったよりあっさりしていたので、少し不思議だったが今はどうでもいい。
「ああ、もちろんだ」
「不審物なし! 通ってよーし!」
フラビオたちは元気いっぱいのイラーナに誘導されて、検問を通過した。
「ちなみに、この警備の給料はいくらだ?」
「んーとね、一時間で銀貨五十枚」
「はあ……」
圧倒的に俺たちからむしり取った金額のほうが高い。しかもまだ九枚を支払わなければならないのだ。ため息をつきながら、やはりこいつは侮れないと思った。
「ところで、チキータに持たせていた指輪はどうしたの?」
「チキータの遺産なら、ここだよ。俺が預かってる」
フラビオが自分の腰にある荷物入れを差して言うと、一瞬だけコラソンが困惑したような表情になった。だがすぐそれも雪が解けるように消えてなくなり、彼が気付いたときにはいつものコラソンに戻っている。
「そうなんだ……まあ、あとでいいか」
「おいおい、お前ら、緊張感が足りないぜ? チキータのなんちゃらの名前を出すのはせめて宿に入ってからにしろよ。検問所はまだすぐ後ろにあるんだからさ」
お前らが捕まったら困るのは私なんだ、と小言を言うイラーナを尻目に、フラビオはコラソンの「あとでいい」という言い回しが気がかりで仕方がなかった。
イラーナの注意喚起に割り込まれて、フラビオは詳しいところを訊き出すタイミングを失ったものの……どうしても気になるという内容でもないので、もうどうでもいいだろう。そう思って彼は何も言わないことにした。