シャルロッテとマルセル4 シャルロッテを求めた青年

4

六日目の晩。昨晩のこともあって、今晩ばかりは少々気が進まなかった。もし嫌われてしまっていたらと思うと胸が痛くなる。これは最初の晩までに感じていた痛みにとても良く似ていた。これでは結局、マルセルと触れ合う前に逆戻りだ。
「でも、明日必ず行くって言っちゃった」
森の中の住人は、約束というものを無意識のうちに絶対的な誓いとしている。
もし今日会いに行かないのなら、約束を破ったことを謝りに行く日が必要となると、森で育ったシャルロッテは無意識に考えていた。それはつまり、何があってもマルセルに顔を合わせることは避けられないということだ。
覚悟を決めたシャルロッテは、森を降りてマルセルに会った。マルセルは、昨日以上に早く見つかった。なぜなら、彼は森へと続く獣道のすぐそばで待っていたからだ。覇気のない瞳はいつも以上に垂れていて、少し眠そうにしているのが伺える。
「お前、森に住んでるのか」
「私は、シャルだよ」
「シャルは、森に住んでるんだな」
「違うよ、今日はね、昨日悪いことをしちゃったから、お詫びに木の実を持って行こうと思って……」
しかし、その手に木の実なんて持っていないのは一目瞭然だ。シャルロッテは慌てて言葉を付け足す。
「……でも、見つからなかったの」
「隠さなくていいさ、最初からなんだかおかしいやつだと思ってたし」
マルセルはシャルロッテがこの森に入るのを見て、後を追ったが出会えず、仕方なくここでずっと待っていたが結局現れなかったと説明した。この森の結界内は、魔女のカリンが許可を与えた者しか知覚できないのだから、いくら探しても出会えないのは当然のことだった。
彼は、昨日の真夜中から今日の真夜中、つまり今に至るまで、ずっとここで見張っていたのだという。
「まあでも、森に住んでようと、俺はシャルのこと嫌いになったりしないからさ」
「わかった……私は、森に住んでるよ」
シャルロッテはあっけなく、自分が森に住んでいることを明かしてしまった。結界の中のことには触れていない。だから大丈夫だろう。
「そかそか、そりゃ楽しい話ができそうだな。森の中で暮らすなんてことしている奴、俺の周りにはいないからな」
それだけ言って、マルセルは星々の輝く天を仰いだ。
しばらく間を置いて、マルセルは言葉を続ける。
「昨晩は悪かった、謝る」
「とんでもないよ、私も悪かったよ、ごめん」
罪悪感がひしひしと伝わってくるマルセルの言葉に、シャルロッテは戸惑った。本当に悪いのは突然帰ろうとした自分なのだから、彼の謝罪はチクチクと胸にトゲを残していくように感じる。しっかりシャルロッテが時間を確認していれば、あんなことにはならなかった。
話の続きは明日、なんて言って別れておきながら、昨晩話した内容を覚えていなかった二人は、黙って目的もなく夜の町に繰り出す。
「俺は上流階級のぼっちゃんだったんだよな。今じゃ、見る影もないけど」
無言で町をぐるぐるしていることに飽きた頃、マルセルは自分の生まれと育ちを語り始める。
裕福で余裕のある家に生まれたにも関わらず、自分の面倒を見てくれるのは母のみだった。しかし、そんな母はマルセルが物心ついていくらかして亡くなり、面倒を見るのが嫌だった父は自分を捨ててどこかへ消えた。盗みを働くようになったのは当然、その時からだ。
ほとんど愚痴だった。それでも、シャルロッテは嫌な顔ひとつせず聞いていた。マルセルのことを知ることは、彼女にとってとても嬉しいことだったから。
「仕事がなくて、誰にも必要とされていない。こんな世界、もううんざりだ」
唇を噛んで、吐き捨てるように言うマルセルを、シャルロッテはうら悲しさの宿る目で見つめていた。
「森には、どんな暮らしがあるんだろうな」
「え?」
「聞かせてくれよ、シャルが住んでるところの話を。シャルの家族の話を」
唐突に、達観したような物言いをするマルセルの横顔を見て、シャルロッテは足を止めた。マルセルの顔には覇気が戻ってきている。それでも、シャルロッテには心なしか悲しみが透けて見えるような気がした。シャルロッテは彼のために、できることをしなければならないと思って口を開く。
「んと……木がたくさん茂っていて、木の実が美味しいところだよ。でも、町の便利さには敵わないよ。私は、町のほうが刺激があって、好き。もちろん、森の中も嫌いじゃないけど」
シャルロッテは身振り手振りを駆使して森の良さと、続けて町の良さも表現した。
「家族は……実は私も、両親とか兄弟とかいないんだ。でも家族の代わりはいるよ。生まれた時から側にいてくれるカリンはお母さんの代わり。イケメンのエルマは、お兄さんみたいな存在。他にもいっぱいいるよ。血が繋がってなくても、家族にはなれるんだって、みんなが教えてくれた」
口元をほころばせながら語るシャルロッテ。横で楽しそうに語る彼女の声を聞いていたマルセルは、ふとこんなことを言った。
「俺は、シャルと家族になれるかな」
「私と……?」
マルセルが家族になってくれたら、楽しいだろうな、とシャルロッテは思う。
しかし同時に、無理だ、という文字が頭の中に一瞬浮かんでホワイトアウトした。森の中には入るには、カリンの許可を得て結界を通過しなければならない。さらに大前提として、その森の中に暮らしているのは、人間ではないのだ。そして、シャルロッテも人間ではない。
元々分かっていたはずだった。これは実らない恋なのだと。最初の晩から、会うだけなら構わないという意味でカリンが魔法をかけてくれたことは、頭の良くないシャルロッテも重々承知していた。
「俺、ずっとシャルと一緒に森で暮らしたい。どうせもう、俺には帰る場所がないんだ」
「でも……」
両手を胸に当て、自分の心の痛みを抑えるように服の生地を握って難しそうに悩むシャルロッテに、マルセルはしぶとく食い下がる。そしてついに、彼は胸の内をぶちまけた。
「俺、シャルロッテが好きだ」
「え……?」
ぶちまけたといってもそれはとても単純明快で、もっともわかりやすい表現。シャルロッテにも簡単に、その言葉を噛み砕くことなく、意味を飲み込むことができた。
「好きなんだ、シャルのことが……」
繰り返される、似たような言葉。シャルロッテはびっくりして固まっている。まさか、マルセルのほうからそんな言葉が出てくるととは思いもしなかった。しかし、人間をカリンが結界の中に招き入れた例は、シャルロッテが知る限りでは存在しない。
そして何より、まだ自分が巨人であることを伝えていない。元のサイズの自分を見たら、マルセルは怖がるかもしれないのだ。そう簡単に「私も好きだ、家族になりたい」などと口にできない。
「少し考えさせて、ちょっと早いけど今日は帰るよ」
「待ってくれ、好きかどうかだけでも」
「私は……」
口ごもるシャルロッテの蒼い瞳には、まっすぐに彼女を見据えるマルセルの真剣な顔が映っている。
「……私も、好きだよ、マルセルのこと。でも、家族にするかどうかは、家族に確認しないといけない。私には、勝手に決められないことだから……」
「分かった、明日の同じ時間、森の前で待ってる」
今日は魔法の効果時間が余っていたので、今度こそ森の前まで送ってもらった。森の中へ歩いていくシャルロッテの姿は、結界に入ってすぐに、マルセルに知覚できなくなる。マルセルは獣道に一人取り残され、しばらく静かに佇んでいた。
今晩は、森に帰ってからしばらくしてもサイズは小さいままだった。高く伸びる木々たちが、シャルロッテを取り囲んで迎える。
「おかえり。今日は早いのね。どんな感じだった?」
「今日は眠いんだ、だから寝かせて……あ」
「どうしたの?」
カリンに土産話を求められて眠気を理由に断るも、思い出したようにマルセルの話を切り出そうとする。彼を結界の中に招き入れるようお願いしようと考えたが……果たして、カリンは聞く耳を持ってくれるだろうか。
意味もなく、人間との関わりを避けているはずがないのは、シャルロッテにも分かっている。なぜなら、その結界を作り出しているのは他でもないカリンなのだから。頭のいいカリンが合理的な理由なしに、ここまで大掛かりなことをするわけがないのだ。少なくとも、カリンのことをよく知るシャルロッテは、そう思っている。
「なんでもない、おやすみ」
悩んだ挙句、結局その日はいうことができずにカリンに寝る前の挨拶をして、シャルロッテは自分の寝床へ向かった。縮んだままなので普段よりかなり距離があるように感じる。少し時間が掛かるが、眠気を誘発するにはちょうどいい運動だろう。
しかし、その先で見てしまったものは、眠る前には少々刺激が強すぎた。先ほどまであった多少の眠気は、一気に吹き飛んでしまう。
地はえぐれ、なぎ倒されて潰れた木々はささくれて、腐った中身を丸出しにしている。まるでその場所にだけ嵐が来たあとのように荒廃した森の一部は、シャルロッテの寝床へと続く道だ。
「うわあ……」
無論、この状況を作り出したのは彼女自身でしかない。体長百メートルを超える巨体が通る道など他にないのだから、普段ここは自分で踏みならして歩いている。比較的新しそうな広く浅い……とは言っても深さ二メートルはある大穴があった。魔法で縮んだままのシャルロッテにとって、それが自分の足跡だと気がつくのに、数秒では足りない。
もし今の自分がここに落ちたら、間違いなく一人では這い上がってこられない。こんな大穴を、たった一歩で、しかも無意識に作り出してしまう自分は、さぞ恐ろしい存在となるだろうと改めて思った。
「よくカリンやエルマは私のこと怖いって言わないなあ……」
とくにエルマだ。縮んだ自分からみてもまだ小さな存在であるエルマは、どうしてあんなに自然体でこんなものを作り出す存在と接することができるのか、不思議に思うくらいだった。
正直な話、自分で自分が怖い。そして次に思うのはマルセルの存在だ。こんな大穴を作る本来の自分を見て、彼は何を思うのか。それが気になって仕方がない。
やはり、恐怖するのだろうか。そんなことばかり気になって、その日はよく眠れなかった。