ルテリカ王国物語第一章 魔女の居場所◆4

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フェリクスとカタリナは、家族ぐるみの付き合いが多かった。フェリクスは早くに母を亡くして、カタリナは早くに父を亡くしていたからだ。カタリナの母はフェリクスの育ての母も同然で、フェリクスの父はカタリナの育ての父も同然だった。
治癒師と医者という関係もあって、二人の親は仲が良かった。自分の母が、医者であるフェリクスの父に、魔女の特効薬を作ってあげていたのをカタリナはよく覚えている。
この頃の思い出はもはや記憶の海に沈んでしまっているが、たまにふと思い出すことがある。そのときだけはなぜか、鮮明に見て聞いたままを蘇らせることができるのだ。
思春期真っ盛りだったあの頃のフェリクスは、よくカタリナにちょっかいを出していた。彼女はよく泣かされていたが、気の強かったカタリナはいつも泣かし返した。そして注意されるのはいつもカタリナのほうだった。
年上であるフェリクスが本来は叱られるべきではないのかといつも不服に思っていたものだが、今となってはその理由もわかった気がした。カタリナは母親譲りの優秀な魔女としての才覚も備わっている。魔法を使って何かしでかすのではないかと、常日頃から心配されていたのかもしれない。
――魔女は人々の安寧を願う者。みんなに優しくして、そしてみんなを幸せにしてあげなさい。
それが彼女の母の口癖だった。
この世には悪い魔女もいる。そんな魔女にはなりたくないと強く決心したあの日が、とても遠く感じる。
年端もいかないカタリナは、そのとき幼いなりに考えてみて、まずはフェリクスを幸せにしてあげようと思った。よく言い争って、よく怪我をさせあって、でもカタリナは彼のことが好きだったから。
「ねーねー、フェリクス。フェリクスは、しあわせって何だとおもう?」
幸せの定義を明確にすべく、カタリナはとりあえず幸せとは何か、年上のフェリクスに直接訊いた。
「幸せ……?」
「そう、しあわせ! フェリクスはわたしに何をしてもらったらしあわせ?」
「お前が幸せにしてくれるの? 俺を?」
このときフェリクスは大いに首をひねって、とても不思議そうにしていた気がした。そして彼は言ったのだ。
「幸せっていうのは、男が女にくれてやるもんだよ」
「そうなの? じゃあ、フェリクスはわたしをしあわせにしてくれるの?」
「大人になったら、考えるよ」
「えー、いまおしえてよ」
彼は少し悩んで見せてから、そっぽを向いて小さい声で、しかし確かにカタリナの耳に届くように口にした。
「……俺はお前を幸せにする。いつか必ず」

夢と現の境目で、カタリナは若い男の声を聞く。
「おーい、お代いらないなら勝手に持っていっちまうぞ」
「んあ、ダメに決まってるでしょうが……」
声を聞いたカタリナは、うんと背伸びをしてから立ち上がった。いつの間にかテーブルに突っ伏して居眠りしてしまっていたようだ。目をこすって視界を明快にすると、そこにはやや太めの男、カミルがいた。フェリクスから薬を渡すのを頼まれた患者だった。
「フェリクスいる?」
「今は出かけてるわ。用事があるなら出直して頂戴」
「用事ってほどのことでもないよ。彼に伝言頼める?」
「構わないわよ」
「次回からクララのところで診てもらうんで、伝言よろしく」
「ああ、そうなの……へえ」
要するに、もうこの診療所には来ませんという意味である。最近増えてきたとフェリクスも漏らしていたので、そんなことだろうとすぐにわかった。
クララはここ、ティリス街に昔から住んでいるベテランの女医だった。フェリクスの診療所は、数年前にできたばかりだ。残念なことにその患者は、新しくできたばかりの診療所という新しいもの見たさで通っていた人ばかりで、話題性が失われた途端に急激にその数は減少していっている。
彼に薬渡して代金を受け取り、カウンターに適当に置いた。こうしてカタリナは彼から命じられた仕事を全うしたのだった。
そそくさと踵を返す大きな背中を見送りながら、カタリナはため息をついた。
「それじゃね」
それにしても今日はとても陽気がいい昼寝日和だった。もし彼に起こされていなかったら、いつまでも寝ていたに違いない。
「しかし……遅いわね」
カタリナはまぶしげに額に片手を当てて天を仰ぐ。居眠りしている間にずいぶんと日が傾き、結構な時間がたっていた。
彼女は診療所の中に戻って室内を見回し、それから奥の部屋の扉を開いて中を覗く。念のためすべての部屋をチェックしたが、未だにフェリクスは帰ってきていない。
「こっちから出向こうかな」
彼女がここにいてもここで誰かに何かしてやれることはほとんどないし、休診日の診療所で待っているのもさすがに飽きてきた。万が一急患がきたとして、魔法で治療するわけにはいかないのだから。
わずかな小銭が入った財布を手に、お迎えへと繰り出す。診療所からは長く伸びている道があるが、これはずいぶんと遠くまで一本だし、彼とすれ違いになることはない。
と、その時だった。遠く長い一本道の先から駆けてくる人影がある。カタリナにはそれがフェリクスだとひと目でわかった。
彼はやたら焦っているようだったが、カタリナが胸騒ぎを感じるようなものではない。こちらからも彼の方にゆっくりと向かって手を振ると、彼は元気よく振り返してくれた。
「よかった……」
思わず安堵が声に出た。フェリクスはもう怒っていない。
「もう、ずいぶんと待たされたわよ。何してたの?」
「ああ……えと、それはその……手間取ってな。いや、俺の踏ん切りが付かなかっただけなんだが、なんつーかその……」
フェリクスが普段には見られないような、挙動不審な態度をとっている。カタリナが優しく微笑みかけながらも不思議に思った。顔を合わせたらすぐさま謝るつもりだったが、そういう雰囲気ですらないのだ。
「もう、どうしたのよ」
「なんて言えばいいのかわかんねえんだよ。ちょっと考えさせてくれ」
フェリクスは豪快に頭をかき乱しながら診療所に歩いていった。疑問に首をひねりつつ、カタリナもそのあとに続く。
診療所内へ引き返した二人は、向かい合ってテーブルに座った。
「変なフェリクス」
いつまでも落ち着きなくしているフェリクスを見てカタリナが言う。
と、突然彼は立ち上がった。意を決したように口を開くと同時に一枚の紙切れをテーブルに叩きつける。
「あのさ……俺と結婚しないか」
一番最初の行には、婚姻届と書かれていた。
短い沈黙の後、
「え、ええ、まま、待ってどういうこと?」
「いや、どうって……言葉の意味そのままだよ」
視線の先で、フェリクスが恥ずかしそうにしている。一方でカタリナは噛み噛みで返答してはいるものの、意味が未だに理解できていない。赤面する間もなく思考をフル回転させて、彼の発言の意味を噛み砕いていく。言葉を連想ゲームのように膨らませていく。
結婚。入籍。婚姻。同棲。夫妻。
夫妻……夫と妻。
「私があなたの妻になるってこと?」
「……そう」
「で、あなたが私の夫になるの?」
「そうだよ」
「私と、フェリクスが、結婚するの?」
彼女は目をパチクリさせながら、自分とフェリクスを交互に指差した。
「だから、そうだって」
「私は独身じゃなくなるってこと?」
「なんだそりゃ」
「いや、それはまあいいわ……それで、えーと……なんで?」
「カタリナが公爵領に行くなら、そのお前を連れて行くのは俺の役目だ。ついでに通行証の問題もこれで解決すると思ったんだよ」
これ。彼は婚姻届を顎で示した。
カタリナはようやく意味を理解した。急激に顔が熱くなってフェリクスと同じように大きな音を立てて立ち上がる。
「え、待って待って!! 私たち結婚するの!?」
「さっきからそう言ってるだろうが! 恥ずかしいから何度も言うんじゃねえ!」
フェリクスの恥ずかしさの入り混じった怒鳴り声に、カタリナは心を落ち着かせようと胸に手を当てて深呼吸する。落ち着きを取り戻してから状況を俯瞰し、冷静に考えてみようと試みる。
「だいたいなんでフェリクスが私についてくる必要があるのよ。フェリクスは仕事があるし……」
「診療所は片付ける。もう届けを出してきた」
フェリクスがお気に入りの拳銃のチェックをしながら落ち着いた様子で言った。拳銃を腰に差し、続々と荷物をまとめ始め、ついには金庫の貨幣を重そうに持ち出す。
聞くまでもなさそうだが、カタリナは一応口癖のように訊いてみた。
「それ、マジで言ってる?」
「マジだよ。この街にはもう一つ診療所があるし、だいたいウチはよそから来たからなあ、あまり患者が来てない。なくなっても困る奴は少ないだろうよ」
カミルともすれ違って話をした、と苦笑気味に補足する。
「そっかあ……」
どんな患者も、よそから来た素性不明の若者よりも、長いことこのティリス街に住んでいるベテランに診てもらったほうが気持ちがいいのは当然なので、仕方のないことだった。
「医者だって仕事がなくなるときはなくなるってことさ」
それにしたっていくらなんでも突然過ぎだ。さすがのカタリナも頭を抱える。
だが、面白いことに「いったい自分が申し込みを断ったらどうするつもりだったのだろう」とは考えもしなかった。彼女に断る気はさらさらなくて、フェリクスもそれに気づいている。
「ふふ、もう……」
思わず笑みがこぼれる。
通行証の問題解決を急いだというもっともらしい言葉を言ってはいたが、それは本心ではないのだろうと彼女も気がついていた。フェリクスがカタリナの心を見抜くように、カタリナがフェリクスの心の見抜くことも簡単なことだ。
お互いに好きかどうかなんて確認するまでもない。
二人は、両思いのまま何年もこの関係を引きずっていたのだから。
「幸せにしてください」
「任せてくれ」
カタリナが歩み寄り、フェリクスが抱き寄せると、二人の服がこすれあって音がした。彼女たちの抱擁は、しばらくの間続いた。