ルテリカ王国物語第二章 心の傷に巣食う闇◆6

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カルフォシア領カルフォシア公爵邸。
その建物はやけに巨大で、やけに豪華に飾られている。外観はもちろんのこと、邸内の廊下に敷かれた赤いカーペットやどこまでも伸びる純白の壁はいかにもな高級感を漂わせており、持ち主の財力を存分にアピールしている。
美しい日の出を眺めることができる執務室。部屋には彼の勲章でもある様々な種類の銃が、いくつも壁に立てかけるようにして飾られている。ここで、少しばかり早起きした一人の男がある報告を待ちわびていた。
カルフォシア公爵である。毛皮のコートに身を包む貴族然とした屈強なその姿は、獅子や虎などの猛獣を想起させた。
そしてすぐにその報告は、数回のノックとともにやってくる。
「失礼いたします。ハイデマリー・ホフマンにございます」
「入れ」
執務室の扉を開いたのはメイド服をまとった女性だった。公爵家に仕える侍女・ハイデマリーである。もっとも彼女の本職は世話役ではないので、この格好は隠れ蓑にすぎない。カルフォシア公爵は、彼女のメイド服をいつも不自然に感じている。
「リーゼロッテの行方は掴んだか」
「まだ正確には不明です」
「またそれか。聞き飽きたぞ。次はないと言ったはずだが」
公爵には、ルテリカの王にも勝るとも劣らない迫力と威圧感があった。とくに領主の権力が元から王に近いルテリカ王国では、軍を率いる元帥たる彼が、事実上の王国トップと言っても過言ではない。
ハイデマリーは、一瞬だけ焦りを顔ににじませる。だがすぐにその表情を無感情に戻し、静かに言葉を続ける。彼の威勢をただの虚勢だと、このメイドは知っているのだ。実のところ、公爵も同じく焦っているのである。
「まだ情報の裏取りができておりませんので、黙っておくつもりだった情報がございます。偽の情報かもしれません」
「よい。言え」
「リズ様は……レジスタンスに拘禁されているとの情報を、数年前から得ております」
ハイデマリーはやはり無表情だった。しかし、その雰囲気のどこかで、この情報を惜しみつつ出していることを、公爵は感じ取っている。
「数年? それはまた、長い間隠していたのだな、この私に」
「いえ、隠すなどとんでもないことでございます。情報収集をするものとして、より正確な情報をお伝えするのが私の役目ですゆえ」
張りつめた空気の中、互いが互いを牽制し合う。明け方の部屋を日光が徐々に温めていくところに交わる二人の視線と声音は冷え切っていた。
「お前の探知魔法を使っても、五年たった今でさえ行方がわからないとでも言うのか」
「わかりかねます」
ハイデマリーが言い切った。嘘だ。
公爵が舌打ちして彼女のそばまで歩み寄ってくる。しかし気丈なハイデマリーは表情を変えることなく、ただ彼の獅子のような鋭い瞳を見つめ返していた。
「レジスタンスのアジトさえわかっていない。これはどういうことなのだ」
「魔法も万能ではないのです。どうかご理解を」
ハイデマリーは瞳を閉じて無感情に、ただ言葉を発する機械のように言った。
「アレは私の大切な娘だ。そしてお前によく懐いていた。リーゼロッテのことがなければ、お前はとっくにこの私が火刑に処している」
「ならば、火刑に処してはいかがですか?」
ハイデマリーは瞳をゆっくりと開いて、淡々と口にした。
「貴様……!」
彼にはハイデマリーを殺せない理由があった。
公爵家は、息子一人と娘一人ずつにしか恵まれなかった。しかも、次期当主の地位にあったその息子は、最近亡くなってしまった。
レジスタンスが力を増してきて、公爵は焦りが最高潮に達する寸前だ。その上、先週は公爵邸襲撃ときた。簡単に死ぬ気は毛頭ないものの、公爵だっていつ首を落とされるかわからない。早いうちに後継者問題を解決しなければ、カルフォシア家の血統が途絶えてしまう。
本来なら直系男子が当主を継ぐべきだが、この際娘でも構わない。そう思って彼は、五年の間、行方知れずの娘リーゼロッテ・フォン・カルフォシアを探し求めている。
だが、公爵とリーゼロッテの関係は元からよくない。険悪といっても差し支えなかった。その上リーゼロッテは野ウサギのように警戒心が強く、あまり他人を信用しない少女だった。こうなるとカルフォシア家の当主を継いでもらうには、ハイデマリーの手をなんとかして借り、彼女に説得してもらうほか方法がない。
「旦那様が勘当されたのではないですか」
公爵は額にしわを寄せるだけで答えない。怒りに任せて語っても、この女の思う壺だ。
「リズ様は覚醒者でありながら、私以上に優秀な魔女でしたのに。実の娘を火であぶろうとしたなんて、血統だのメンツだのにこだわる王族貴族の考えることはわかりかねますわ」
「魔女は悪だ。仕方がない」
「なのに今更、呼び戻すと?」
「状況が変わったのだ」
公爵は魔女の力を恐れていた。いつの時代も、力あるものが正義だ。そして五年前まで、力があったのは王国よりも魔女だった。
自分たちよりも力ある存在……魔女によって政治がうまく行っていなかった問題を解決するため、魔女という存在を悪者に仕立て上げ、彼は国民の支持を得た。国と民で共通の敵を持つことで、政治への不満を解消したのだ。
魔女は諸悪の根源とされ、民が豊かな生活ができないのは魔女が呪っているからだ、などいう噂を簡単に流すことができた。
しかし、カルフォシアの娘リーゼロッテも魔女としての才覚を備えている。軍のトップに君臨する公爵家に、諸悪の根源のはずの魔女がいるとなっては、なんとも説得力がない。
この頃は、まだ次期当主候補の息子が生きていた。そこでカルフォシア公爵は、自らの娘を、自らの手で火あぶりにしようとしたのである。
だが寸前のところでハイデマリーに邪魔されたので、公式には曖昧なまま、勘当という形で終わった。
「しかし……リズ様はカルフォシア家の当主をお継ぎになるでしょうか。お継ぎになったとしても」
いくら実の父娘関係といえど、一度火あぶりにしようとしている。火あぶりにしようとしたのはリーゼロッテがまだ十歳の頃のことだが、彼女が自分を恨んでいないとは公爵にもとても思えなかった。よって、政治に手を貸してくれるとは考えにくい。
「無理やりにでも継がせてみせようではないか。それに、継いでさえくれればそれでよい。影から操る力を備えた婿を当てる準備はできている」
「まあ、準備のよろしいこと」
ハイデマリーは口に手を当て、不敵に笑った。
「ふん、お前が遅すぎるのだ」
公爵はそれだけ言って踵を返し、部屋の奥へと戻っていく。その背中で、公爵が言う。
「もう話すことはない。下がれ」
「承知いたしました」
ハイデマリーが半歩足を引いてから扉へ体を向けて、執務室を立ち去ろうとする。
だが。
「待て」
「なんでしょうか」
何か思い出したかのように、公爵がハイデマリーを呼び止め、彼女の足を止めた。
「ケビンという名の少年について、情報が必要だ。何か知らないか」
「ケビンなどという名前、このあたりではありきたりなものです。さすがの私も、困ってしまいます」
「歳を十五にして、傭兵の資格まで持っているかなりの腕利きだそうだ。背丈が低く、ナイフを武器に使うという」
銃が主流の今の時代、ナイフを武器に使う人間はそういない。ましてや傭兵クラスの職を手につけている十五の少年は、かなり目立つと言っていい。情報収集に特化したハイデマリーが、ここまで目立つ人間を知らないはずがないのだ。
「まことに心当たりはないのだな」
公爵が彼女の背中をにらむ。今まで以上に強い疑いが宿った瞳だった。
「調べておきます」
彼女はそれだけ答え、今度こそハイデマリーは部屋を去っていった。