チキータの遺産第四幕 逃げからの脱却◆3

23


チキータが目を覚ますと、俺たちは伯爵に礼を述べてから屋敷を出発し、少し離れた草原でしばらく休んでいた。朝食前に屋敷を出たので、食事はここで摂った。
そして予定していた時刻、イラーナの契約している一般的な鳩よりも一回りか二回りどころか、鷹とも全く比較にならない大きさの鳥を彼女とともに迎えることになった。
一見すると少し大きい鷹だ。だが、上空から翼を広げて迫ってくる影は、いくら時間が経ってもどんどん大きくなるばかりで、いつ着陸するのか読めない。
「いやいや待て待て、これは鳩じゃないだろ。どこからどう見ても鳩じゃないっての」
「鷹ですかね?」
巻き起こされる風に緑の原っぱが激しく揺れ、そこにつば広帽を飛ばされぬようにと頭を押さえるチキータの呑気な声。
「鷹でもねえ!」
白銀の大鳥が着地する。イラーナは、やっとのことで大地に足を付けたその巨体に恐怖する様子も見せず駆け寄って、差し出されたその頭を撫でた。頭だけでもイラーナの腕の長さほどの大きさがある。
その背には鞍があり、大人五人程度なら優に乗ることができそうだ。さらに箱のようなものまで括りつけられている。手紙を届けるだけでなく、荷物を運ばせるのも楽々だろう。
「おかえり。待ってたぜ」
イラーナはせっせとその鞍と箱を取り外す。すると、すぐにその巨体はするすると小さく縮んでいった。やがてその鳥はまさしく鳩ほどの大きさになり、イラーナの肩に飛び移った。彼女はもう一度その体躯を愛くるしげに撫でる。
「そいつ、ソリアードか?」
「そうだよ。カッコ良かったろ? よしよし」
白銀の体毛に包まれた、鷹によく似たそれは、ソリアードと呼ばれる怪鳥だ。魔力を持つ魔獣の一種で、体長を自在に操作することができ、小さくなって狭い場所から侵入、そして元の大きさに戻って暴れ回るといった奇襲を仕掛けることもできる。
しかし、中型ドラゴンの巣すら襲ってそこに母親がいようがいまいが卵を喰らい尽くす獰猛さと、世界的にも希少であるという点もあって、使い魔としている者がいるという話は未だ聞いたことがなかった。
そもそも、こんな化け物みたいな魔獣を使い魔にするなんて、常人にはできない。それこそ人並み外れた魔力が必要だった。
「お前、水のファミリアなんだし魔獣使いやれば? そいつに戦わせて、傷ついたらお前が回復してやればいいじゃないか」
あの巨大かつ鋭い爪とくちばしがあれば、ティスニア帝国兵の一個小隊なんて一瞬でお陀仏だ。リコテスカ軍は魔法を使える魔族が多いので少々やっかいだが、それでもすぐに片がつくだろう。それに、水のファミリアの得意分野は治癒なのだから、悪い運用法じゃない。
「やだなー。セネルちゃんを傷つけるなんてできないよん。そもそも、こいつは頭がいい。私と主従契約した時点で、自己治癒なんて余裕さ」
ならば余計にソリアードに戦ってもらったほうがいい気がしたが、もう突っ込むのはやめることにした。見た限り、イラーナのソリアードに対する愛は半端ではない。
「セネル? そいつの名前?」
「そうだよ。可愛いだろー?」
「そうかねえ……」
言われて、フラビオはイラーナの肩にとまる怪鳥ソリアード、セネルを見た。フラビオに気がついたセネルは、その小首を傾げた。
確かに今は可愛いかもしれない。だが先ほどの巨体が自分に襲い掛かってくるとところを想像してしまうと、気が気でない。
「か、可愛いです! そしてカッコいい!! 最高です!」
「だろだろ!?」
チキータはどうもセネルにメロメロの様子である。元の大きさの凛々しさも、現在の愛らしさも両方含めてとても高く評価しているようだった。
そんなチキータの反応が嬉しかったのか、イラーナはしばらくセネルの魅力を熱弁していた。チキータも目を輝かせながら、熱心にその自慢話を聞いていた。
二人ともとても楽しそうだった。遠巻きに眺めているだけでもそれが分かる。イラーナとチキータ、この二人が話していたところを見たのは初めてかも知れない、とフラビオは思った。
愛鳥の自慢話が終わると、イラーナは「なんだっけ」などと言いつつフラビオに向き直って話を戻す。
「それにさー、私がソリアードなんて使役してるの知れちゃったら、間違いなく戦に駆り出されるじゃん」
「もう駆りだされてるだろ、お前」
「そうじゃなくて、この子がだってーの」
イラーナの溺愛っぷりに、フラビオはもう呆れ果てて苦笑することしかできなかった。
「あ、そうそう」
イラーナは呆れるフラビオを尻目に、セネルに括りつけられていた大箱の紐を解く。そして蓋を取り外した。その中には、日持ちする食材といくつかの分厚い本、そして数枚の貨幣と加えてマナクリスタルなどの貴重品が入っている。
「あらかじめ別の鳩を飛ばして手紙を送り、フラビオのとこにも寄るよう仲間に指示しておいた。何を持ってこさせようか悩んだけど、家具とかはさすがに無理だったし、消耗品持ってきてもしょうがないと思ったから、これで勘弁な」
「セネル以外のソリアードがいるのかよ!? あんな化け物、何匹使役してるんだお前!?」
「違う違う、私にだってソリアードとは別に、ごく一般的な鳩もいるんだよ。セネルはそう頻繁に飛ばさないんだ」
尊敬と恐怖、そして驚愕という三つの感情を一気に内包した言葉をフラビオから受けて、イラーナが慌てて否定。
それを聞いたフラビオがほっとする。怪鳥ソリアード一匹だけでも恐ろしいというのに、それが二匹も三匹も群がっているのを見かけた日には、失神する自信がある。
もともとソリアードは縄張り意識が強く、単独行動する魔獣だからこそ生態系のバランスが保たれているのであって、ソリアードが集団で一つの支配の下に活動していたら一日で町が滅んでしまう。
「これとかはもらっていくぜ。いいよな?」
その声がした場所には、大箱に手を突っ込んで貨幣やマナクリスタルなどの貴重品を漁るイラーナがいた。すべてフラビオの家から持ちだされたものだ。
だが、先ほどの交渉直後の通り、どうせくれてやるつもりだったのだ。別に構わない。
「とはいっても、いくらかはないとあとで困るよ。少しは分けてもらっておくべきだ」
フラビオのあまりの気前の良さに多少の危機感を覚えたハイメが彼に警告した。実際、少しの貯えはないとこの先何があるかわからない。いざというときに一文無しでは笑えない。
「ちぇっ……少しな」
ハイメに対して、余計なことを……とでも言いたげに視線を送るイラーナがつぶやきながらも、フラビオの手に結構な金額の貨幣を渡した。イラーナのがめつさはまさに天性のものだが、彼女も鬼ではないのだ。
今日は頻繁にお金が行き来している。結局、今日未明にフラビオがイラーナに送った銀貨二十枚の賄賂はチャラになった。
「ところで、安全なルートとやらについて、そろそろ聞きたいのだが」
フラビオが言うと、イラーナは貴重品たちを荷物入れにしまいながら自慢気に口角を上げる。そして指を突き立てて天を差し、意気揚々と叫ぶ。
「空だ!!」