チキータの遺産第四幕 逃げからの脱却◆1

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次の日の夜明け前。
まだ太陽が毛ほども顔を出していないが、深夜に比べて暖かい。もうじき明るくなる時間だろう。
最近生活リズムの狂っていたチキータは、記憶を取り戻してからは一度も早過ぎる早起きはしなくなった。昼寝もそこそこに、徐々に昼行性の生物として正しいリズムに戻りつつあり、今もぐっすり眠りについている。
夢というものは、潜在意識に眠る記憶がかき混ぜられて不安定に蘇る現象だと言える。チキータの場合底に沈殿していた暗黒時代の記憶の欠片が夢となり、それがおぞましい内容で、しかもチキータ自身すら身に覚えがなかったことが原因で悪夢となったのだろう。
フラビオは改めて思う。自分が人を殺していく夢なんて見てしまったら、正常な精神状態でいられる自信がない。ハイメが言った通り、チキータは芯が強いと感心した。
「金貨一枚? ビミョーだなー。せめて二枚はないとなー」
そしてそんな朝早くから、フラビオはイラーナと対面して交渉の席に着いていた。
「そこをなんとか……ていうかお前のことだから、俺の経済状況把握してるんじゃないのか……?」
「まあね。兄貴に鳩を飛ばせばだいたいの奴の有り金は分かる」
(妹に甘い商人だなあ……まったく)
イラーナの兄は、ティスニアとリコテスカの二国を牛耳る、つまり世界全体を牛耳っているといってもいい巨大な商人ギルド・ミリシー協会のマスターを務めている。ミリシー協会の主な活動は行商人の活動拠点を至るところに設置し、様々な物品の流通を活性化させることにあるが、成長するに連れて活動の多角化もしてきた。
その一つが金融機関の役割だ。フラビオを含む一流の者たちが金銭を預ける場所といったら、基本的にミリシー協会である。多少金利が高いものの、警備に裂いている人件費も高くガードが厚い、安心できる金庫があると評判だった。
そんな凶悪なツテのある彼女を交渉の相手に取るのは容易なことではない。
「なら分かるだろうよ。それにお前も知ってる通り、賞金稼ぎなんて職、全く安定しないんだからさ、ある程度貯金がないと困ることがあるんだよ。その上、俺はお前に十枚も貸し作っちまってる。これ以上は無理だっつーの。頼むって」
「だけどお前さん、ウチの金庫以外にも使ってるだろ?」
「なんで分かる……」
小声で言ったフラビオの反応を見て、イラーナは尻尾をくねらせて喜びを表し、八重歯を覗かせて怪しく微笑んだ。彼女はただカマをかけただけだったのだが、フラビオはまんまとかかってしまった。
少し離れていた場所で見ていたハイメは、やれやれ、と肩をすくめたものの、フラビオに何も言うことはなかった。
「なんつーか、女のカンってヤツさ。そうだねー……お前さんは頭がよくて要領もいいから、四分の一もウチに預けてないんじゃないかな?」
「あのなあ……それ、俺が肯定したら下手な底辺貴族よりも金持ちだってことになるぞ」
「実際、お前さんはそこそこ金持ってるじゃあないか。孤児院にもいくらか寄付しているとか聞いたし、それにあんな大金ウチに預けてる賞金稼ぎなんて、数えるほどしかいないぜ? 四分の一はないにしても……そこそこ分割していろんなとこに分けて置いてるんじゃあないかねえ。能ある鷹は爪を隠すってね、そうだろ?」
フラビオにイラーナがにじり寄ってくる。彼が視線を合わせてしまったその瞳には、嘘をつかせないという強い威勢が含まれていて、何か言い訳しようとも言葉が浮かんでこなかった。
出てくるのはただ苦笑いだけである。ハイメと並んで敵に回してはならない奴なのだとフラビオは再認識せざるを得なかった。