シャルロッテとマルセル1 シャルロッテの一目惚れ

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それは一目惚れというものなのだろう。彼女は、森の中にある丘から人間の町を眺めるのが好きだった。ある日の晩、夜な夜な町の中をあちこち歩きまわって、荷物を少しずつ膨らませていく青年を見つけたのがきっかけだった。
巨人の少女、シャルロッテは森一番の力持ちだ。世間一般で言う家族はシャルロッテにはいない。それでもシャルロッテにとっての、家族と呼べるものは何人もいる。
まずは魔女のカリン。カリンは、人ならざるものが集うこの森のまとめ役で、シャルロッテの母親代わりだ。シャルロッテが生まれた時から側にいてくれて、彼女に家族を与えてくれた。
次に妖精の少年エルマ。身長は五センチと小さいものの、顔立ちのいいイケメン。あらゆる種族からモテモテだが、シャルロッテには小さすぎてイケメン扱いされないのが悩み。
他にもいっぱい、森にはシャルロッテの家族がいる。
ある日、シャルロッテは自分に任されている仕事である薪割り……というか、太い枝を折って爪で割く作業を終えて、魔女のカリンの元を訪ね、胸の内に秘めた悩みについて相談した。
「なんだかね、彼をずっと見ていたくなるの。近くに行って触ることができないのがつらくて、自分という存在が彼に気づいてもらえないことが寂しいの」
カリンは箒でシャルロッテの顔まで飛び上がって話を聞く。カリンは、シャルロッテの巨体に血液を巡らせている巨大なポンプが、大気を揺らすほどに強く、早く動いていることに気がつく。カリンは静かに微笑んで、しかしすぐに厳かな表情になって遥か下にある地面を見つめ、そして悩む。
カリンがどう答えようかと悩んでいるところに、妖精のエルマがやってきた。
「ふふん、それは恋だね、間違いない」
「ちょっと、エルマ」
「まあまあ、いいじゃないか、カリン。片思いっていうのはつらいものだよ。黙っているのは酷というものだ」
「残念だけど、エルマが言っても説得力が皆無よ。あなたに片思いの経験があるようには思えないわ」
小さな羽で自分の周りを飛び回るエルマを、カリンは鼻で笑ってあしらって、大きくため息をついた。今日も仕事を終えたあとのエルマに、狼女やら鬼娘やらがまとわりついているのを見たばかりだ。
「恋、って何?」
シャルロッテが訊ねる。
「キミが一番分かってるじゃないか、シャル。今キミが抱いている気持ち。それが恋だよ」
「んと、よくわからない……カリン、恋って何?」
エルマがシャルロッテに与えた答えはあまりにも抽象的で漠然としている。むずがゆさしか残らない回答に不満を覚えたシャルロッテは、森一番の知識人であるカリンに再度答えを求めた。
「そうね……恋は……恋というのはね、誰かを好きになるってことかな」
「私はカリンもエルマも好きだよ。でも、胸は痛くない」
「……うーん、そうなのよね……それだけではないのよね……その、恋っていうのは、恋をすることを指すのよ」
苦し紛れにカリンが口にするのを見て、シャルロッテは驚いた。どうやら博識な彼女にも、上手く説明できないことがあるらしい。恋とは、恋である。などというあまりにも哲学的な答えに、シャルロッテはエルマの答えのほうがよっぽどまともに思えてくる。
「恋っていうのは、難しいことなんだね」
「まあ、そうなるわ」
「どうしたら、この痛みが消えるかな」
シャルロッテは息を詰まらせて、カリンなんてすっぽり入ってしまいそうな巨大な拳を胸に押し当てている。シャルロッテが身じろぎするたびに、大気と大地が揺れていた。カリンは、得体の知れない痛みに苦しむシャルロッテを、見ていることが耐えられない。
「会いに行ってみる?」
「いいの?」
胸を痛める我が子同然のシャルロッテを見ているのがつらかったカリンは、そんな提案をした。
シャルロッテは驚きを隠せない。彼女の体長は優に百メートルを超えていて、カリンが森に広く張っている、森と森の外を隔離する結界がなければ森の外からでも姿が見えてしまう。結界は途中から終わっているので、シャルロッテが町にまで出てしまったら大騒ぎだ。
「ええ、でもこのままでは当然いけないわ。私がシャルに魔法をかけてあげる。町にいていいのはその魔法の効果が続く二時間だけ。それでもいい?」
「うん、お願い。魔法をかけて」
「わかったわ。目を閉じて」
シャルロッテはその大きな水たまりのような蒼い瞳を閉じて、カリンが魔法をかけてくれるのを待った。今まで胸の中を占有していた痛みは半分ほどに引いて、残り半分の空間は新しくあふれてきた期待と興奮で満たされていく。
「わお、可愛い。普段のシャルももちろん可愛いけど」
エルマの声が聞こえた。それに続くカリンの声。
「もう目を開けてもいいわよ」
「あれ? ここは……私……」
魔法のかかったシャルロッテの視界に飛び込んできたのは、いつもと同じようで、いつもとは違う世界。
下を見る。地面がある。上を見る。星空がある。
正面を見る。自分の背丈よりも遥かに高く伸びる木々がある。
横を見る。カリンと同じくらいの大きさの、つまりちょうど手のひらに収まりそうな大きさのエルマがいる。
しかしそれは的確な表現ではないと、真後ろを見た時に突き刺さるような感覚を伴って思い知った。
「どうかしら」
「すごい……」
振り返った先には、自分より少しだけ高い背丈のカリンが立っていた。シャルロッテは人間サイズに縮んだのだ。
「すごい、すごい! これなら飛んだり跳ねたりしても迷惑かからないかな?」
「どうぞ」
「やった!」
自分の体は大きくて重いから迷惑がかかる、だから控えるようにしていた行動を繰り返す。跳ねる、走る、そして大声で意味もなく叫ぶ。木登りにも挑戦したが、どんなに頑張っても登れなかった。これでは薪割りになんてできやしない。
木の根元に寝転んで手足を閉じたり開いたりしていると、カリンが覗き込んできた。ついさっきまでシャルロッテの靴の高さにも満たない身長だったカリンから、今までに感じたことのない感覚を得た。
「一通り楽しんだら、町に出ないと時間がなくなるわよ」
「えへへ、わかった」
「ちゃんと時間を守って、効果が切れる少し前には森の結界の中に戻ってくること、それと、自分の正体とこの森の結界の中について、その青年にはしゃべらないこと。それと……まあ、いいわ」
「大丈夫! それにしても、エルマって本当にイケメンだったんだね」
「そうだろそうだろ、もっとほめてくれてもいいんだぜ」
「行ってきます!」
シャルロッテは元気にエルマをスルーすると、長い髪をひるがえして森の外へと駆けていった。
「純粋さというものは……時に残酷だな」
「ふん」
「笑うな!」
複雑な気分で取り残されたエルマに並んで、カリンは鼻で笑ってやった。